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MH4欠片文 黒穢狂嵐


ゴマ初遭遇ムービーあたりの書き起こし。こくえきょうらん。



 MH4 欠片文  黒穢狂嵐


 大嵐が、迫る脅威の気配を完全に消し去っていた。団長の白鷹が猛禽ならではの鋭い視力で船に忍びよる黒影を見つけ、警戒の甲高い叫びをあげたときにはすでに襲撃に備える余裕などなかったのだ。
 もっとも、鋼の紗幕によって閉ざされたような大雨、舵柄を支えろという怒号をかき消す暴風、次々と襲いくる狂った大波濤に翻弄されるさなかでは、船目指してまっしぐらにやってくる存在をはるか以前に知ったとしても、迎撃はもとより逃げ隠れすら到底不可能だったに違いない。
 正気を失った空は世の終わりを感じて暗く、端からちりぢりに水滴となって乱れ崩れる雲底は低かった。そのときジェシは、船の横腹に何度も貪欲に噛みついてくる大波と闘っていた。生ぬるい雨があらゆる方向から身を打ちたたき、ずぶ濡れではあったが、頻繁に強弱を変える暴雨の間隙に呼吸できる空気のあることが、まだ船が転覆していないとわかる唯一の証だった。
 縮帆は、かろうじて間に合った。造船した土竜族の忠告に従い、補強した両脇の張り出し材アウトリガーの支えのおかげでなんとか船はもっていた。だが今、白く残虐な牙を剥いた三角波が一気に船体を高みへと押し上げ、船は間違った角度で危険な波の谷間へ落ちこもうとしていた。
 砕け波が絶え間なしに襲う甲板では、体重の軽いアイルーや老人、女子供など簡単に水にさらわれてしまう。彼らを船倉へかくまい、団長の指示のもと、加工屋と二人、死に物狂いで溶接したように動かぬ舵に取りつきながらジェシは鷹の悲痛な警告を聞いたのだ。
「なんだ、あれは!?」
 団長の驚愕。目線だけ動かしたジェシの頭上を、巨影が風雨を斬り裂いていった。
 速すぎてなんだかわからない。だが次の疑問を浮かべる前に、そいつはジェシと加工屋の背後からいきなり黒い突風となって甲板へ飛びこんできた。
 船にぶつかった衝撃と重量は凄まじかった。ジェシは加工屋とともに舵から吹き飛ばされ、崩壊寸前の軋みをあげながら甲板がありえないほど傾斜していく。滑り落ちるまいと船床に爪を立てて耐え抜き、ようやく再び二本足で立てるようになったころ、船が、ずり落ちてきたのとまったく逆のルートを遡って波の壁を越え、転覆の危機を脱したのをジェシは知った。そして甲板には新たな悪夢が、この暴風雨にも轟きわたる重低の唸りを発しながらうずくまっていた。
「な、なんだ、いったい。海の魔物か。どこから……」
 切った腕から血を流し、加工屋があえぐ。ジェシはシュッと鋭く息を吐いて彼を制した。
 いるはずのないものがそこにいた。大気も水も、なにもかもが狂いわめく大嵐のど真ん中に、どうやって現れたのか。魔物か、精霊か――一瞬迷信的な疑念に囚われかけ、しかし烈しい雷光に断続的に具現化する濡れた塊は、広い甲板の一隅を占めるほどに巨体だった。圧倒的実在感と、喉奥に痰でも絡まるような喘鳴にも似た激しい呼吸音が、それが幻影ではなく現実の生物であると全世界に告げている。
 絶対に、決して、この昏黒の塊を刺激してはいけない――生き物としての全本能が命の危険を叫び、ハンターとしての全経験が急激な行動をジェシに禁じた。誰の説明も要らない。こちらの骨の髄まで震わせてくる、自信と支配欲に満ち満ちた脅迫の唸り声を聞けば充分だ。突き刺すようにやつが主張しているのはただひとつ、己が完全なる捕食者だということ!
「ヒカザ、船倉へ行ってくれ。操虫棍がほしい」
「だが」
「絶対にこいつに背を見せるな。獲物と思われる。ゆっくり動け、ゆっくりだぞ……」
 ジェシは加工屋をかばって立ち、もはや制御のきかない大揺れの船上を、密航者から目を離さずにそろそろと横歩きしはじめた。二人の移動に呼応し、相手ももぞもぞと体勢を変える気配がする。稲光の明滅ごとに、微妙に位置を変えたそれの不気味な陰影が浮きあがった。
 息詰まるような緊張のあと、ようやく船室への下り口に辿りついた。加工屋をなかば強引に押しこみ、詰めかけているキャラバンの仲間たちに絶対に出るなと手で示す。
「ジェシさん、あれは水獣ですか? あの、団長は? 大丈夫ですよね?」
「お嬢にもわからないか。俺も初めて見るんだ。浸水の具合は?」
「もう限界ニャル! みんなで掻き出してるニャルが、どんどん入ってくるニャルよ!」
「おまえの武器を持ってきた、ジェシ。頼む、あれが居座っていては船が沈む」
「なんとかするよ。筆頭オトモトムキャットはまだ駄目か」
「手伝いたがっているが……、船酔いで足腰が立たない」
「わかった、大丈夫だ。ヒカザ、団長を探してくれ」
「まかせろ。たぶん船尾で気絶しているんだ。あの人の運は強い。……俺も、おまえを援護できたら」
「鍛冶屋に仕事を取られちゃ困るよ。棍と俺の猟虫をくれ」
 ブンと心強い羽音がし、暗がりの奥から大きな緑の甲虫が飛びだしてきた。右腕に慣れ親しんだ重みが加わると同時に差し出された棍を掴み、ジェシはその場を一息に離れる。
 不安定な揺れの上でも修練を積んだ確実な挙動で棍の中折れ刃を展開、謎の密航者に対峙し穂先を向けた――その瞬間。戦闘の意志を感じるや、電光よりも速く、モンスターは大咆哮を上げながら突如闇色の身体を何倍にも膨れあがらせ、ハンターの前に立ちはだかってきた。
 それは翼だった。これまで見たどんな竜翼ともおよそ似つかない、呪術師の黒衣のように長く禍々しく、裾は悲惨に破れていた。あらゆる光を吸収して返さぬ漆黒の翼が壁としてジェシの視界を大きく抉り、しかしその下には奇怪に黒光りする四脚の獣身がついていた。
 ――なんだ、こいつは!
 反射的に後ずさり、跳ね上がった心臓の鼓動を鎮めるべく努力する狩人に、闇の生物は滑らかな丸い頭部をぐるりと向ける。両翼を暴風になぶらせ、ひと目で肉食とわかる牙の並びを見せつけながら痙攣的に首をねじった。雷光に照らし出されたその顔を見て、ジェシは全身そそけ立った。
 魔物の顔には、目が無かった。
 狩人は激しくまばたきし、あまりの混乱に頭がいかれたのかと自問する。だが相手がわずかに胸を反らせるのを目にすると、考えるより先に身体が動いた。
 ブレス攻撃。完璧に避けたと思う暇もなく衝撃。魔物は三発の衝撃波をたて続けに吐き、ひとつが直撃していた。幸運だったのはそれが火竜のような火炎球ではなかったこと。ジェシは間髪いれず全力で立ち上がり、棍を床に突き立てて宙へ舞い上がる。船の揺れが跳躍を助け、狩人の足下で、モンスターの鞭のようにしなる尾は獲物ではなく木箱を粉砕した。
 落下の速度と全体重を乗せ、着地ざまに操虫棍を振り下ろす。刃は魔物の背から脇腹にかけて走ったが、手応えは巌を撫でるに等しかった。そして初めて相手の鱗を見分けられるほど肉薄したジェシは、しかし呻き声を漏らし、連撃に移りかけた手を引いて思わず大きく後退した。
 ――なんなんだ、この竜は……!
 いや、そもそも竜なのか、獣なのか。
 常ならば欠かせない攻撃手段とする猟虫も、彼は放つのを躊躇った。バネのような強靭さで敵が襲いかかってくる。棍を突き立て、狩人は妙に苦しい呼吸で宙へと逃げる。
 空中で回転しつつモンスターの体躯に目を凝らした。暗さと雨で視界が悪く、間近に寄るまで気付けなかった。魔物の表皮が、吐き気を催すほどおぞましくけがれていることに。
 ――ひどい。
 鱗はかびた革よりもなお汚れ、色々の斑点が沁みついていた。あちこちひび割れ、ささくれ立っているようにすら見える。背のあたりは大小の腫瘍が群がる寄生虫のように醜く噴き出し、びっしりと鱗を蝕んで外形を崩れさせていた。瘡蓋かさぶたと発疹の覆う皮膚に触れれば、同じ呪詛を与えられるのではないか――相手にしていた生き物は、嫌悪を感じるなというほうが無理な怪物だったのだ。
 着地。勇を奮って斬りかかり、素早い動きにかわされた。異様に関節の多い翼が真上から叩き潰すように迫る。翼? 冗談じゃない、あれは膜のある第五第六の腕だ! 転がりながらジェシは激しく咳きこむ。魔物の最大の凶爪は掌と同じ形で翼腕の関節から開き出ている。
 爪と牙、目の無い頭部だけが多くの獲物の血で磨かれたのか凄惨な光沢を放っていた。噛みつく牙を避け、棍の石突で敵の顎を殴り上げる。さらに首へ斬りつけたが魔物は微塵も動揺せず、赤黒い口を巨大に開けて空気を呑んだ。
 ブレス。狩人は横跳びにかわし、だが一拍後、ジェシの身体は船端まで吹っ飛んでいた。単なる息の塊が、吐き出された先で爆発していた。こんな生き物は見たことがない!
 混乱の極地において、それは神のいたずらだったのか――ふいに頭上の乱雲が途切れ、豪雨のとばりがさっと掃ける。一瞬、弱々しい陽光が甲板を灰色に照らしだし、ジェシは自分が浴び続けたブレスの正体に震えた。
 戦場には、濃く薄く、黒い煤が漂っていた。嵐の風に渦巻きながらも、煤は確かな重さを持って魔物の周囲に浮遊し、沈着し、時折り毒々しい紫の燐光を放ちさえした。モンスターの荒い呼気は黒い霧のようであり、それよりも濃い黒煙が呪布のような両翼からとどまることを知らずなだれ落ちている。
 天啓のごとき静止は消え去り、激動の嵐が戻る。モンスターは野太く吼え、ジェシは気管の違和感に猛烈に咳きこみながら右腕の猟虫を囮として空にはなった。
 ――化け物だ。こいつは生き物じゃない、本物の怪物モンスターだ……!
 また大波が船を襲い、骨組までもがみしみしと悲壮に限界を訴えていた。メインマストが折れれば船は、《我らの団》は終わりだ。一刻も早くこのモンスターを撃退し、船の制御を取り戻さなければならない。だというのに、闘志は狩人の心から急速に失われつつあった。
 かわりに氷のように芽生えたのは恐怖。渦天かてんの悪夢から生まれいでた黒い病魔。目も持たずにどうして船を見つけ、正確に俺へ爪を向けられるのか。この発狂した大嵐よりも理解不能な、呪われた超自然的存在に――俺が敵うわけがない!
 冷えた身体が急激に重く、疲労し、ジェシは天に押し潰されるような圧迫感にあえいだ。狂騒と恐怖はその冷たい触手で今や完全に狩人の心臓を縛り、彼の足をその場に縫いとめた。
 息が苦しい。喉が焼け、早鐘だった鼓動が更に破裂寸前に胸で弾けている。――あの六本脚の化け物の、血濡れた爪を見たか。鱗は蝕まれ、腐り……黒い煤、あれはやつの壊れた甲殻のかすか? だが俺もあれを吸いこんでしまった、いずれ病むのかもしれない。黒ずんだ肌は崩れ、骨が肉を破り、赤黒い畸形の過剰腕が生え――くそ、悪魔め! 近づいてくる、あの怪物が唇を裂いて獰猛に嗤う……
 ――見ろ、俺を咬み裂こうと血走った眼を光らせて……いや、ちがう、
 ――眼は、無いはずだ。さっき見たじゃないか? あいつの顔……、
 ――待て。
 ――俺は何を言っている、、、、、、、、、
 ブンと風圧が頬を打ち、ジェシは右腕に衝撃を感じて尻餅をついた。腕の痛みに目をしばたかせると、戻った猟虫が顎で主人の腕に噛みついている。これは、気絶した操虫者を目覚めさせるための行動……。
「ジェシ、なにをまごついてる! 立て、逃げろ!」
 誰かが自分を呼んでいた。ジェシは頭を振り、必死に意識を集中した。
 錯乱している――自分は今、明らかに異常だ。なぜ?
 わけもなく怖気づき、混沌へ飲まれかけていた意識が少しだけ覚醒し、ジェシは全身をガタガタ震わせ奥歯を噛み鳴らしている自分にようやく気付いた。汗は滝のようだ。寒いのではなく、ひどく熱い。近寄るモンスターの姿がぶくぶくと醜悪に膨らんではまた貧層にしぼみ、融解し、一瞬たりとも安定しない。景色すべてが歪んだガラス越しのようにちらつき、鮮烈な色の光が天に明滅して眼球に突き刺さる。頭痛――だが、これほどの錯覚を起こす傷を負った憶えはないのだ。
 ならば、これは幻か? あの煤のせいか!
 経験のない強烈な恐怖と惑乱で、ジェシは叫びだしそうになる己を――俺に近寄るな、化け物!――必死の理性で抑えこんだ。意に反して駆けだしたがる足の筋がびくびく痙攣する。今にも棍を振り回して突っ込もうと怯える野獣の恐慌をねじ伏せ、猟虫がギリギリ咥える腕の痛みに神経を研ぎ澄ませた。
 黒い塊が突っ込んでくる。棍を頭上で一度唸らせ、勢いよく地に叩きつけてジェシは宙に踊った。甲板隅の樽積みに頭を埋めた穢れた背へ、上空から操虫棍を叩きこむ。熱に浮かされたまま烈火のごとき連撃を加え、急反転しそこねた相手がドウと横倒しになったとき、停滞していた血液がやっと全身に巡りはじめたのか、視界の爆発が収まってきた。
「ハッハァ、さすがは我らの団ハンター! しかし何者だ、そいつは!?」
 船尾楼を見上げれば団長だった。後ろには加工屋の姿。
「聞いてくれ、ジェシ! なんとかそいつを船縁から追い落としてくれ! やつに空を飛ばせるんだ、それだけでいい!」
「団長、策があるのか!?」
「あるさ、大型弩砲バリスタと撃龍槍がな! 俺にも撃てるし威力はでかい、どうだ! さあハンター、この窮地を切り抜けるぞ!」
 くそ、こっちの苦労も知らず気楽そうに言ってくれる。
 脈打つ頭痛に眉をしかめ、ジェシは腹を立てたが、団長の無事な姿と溌剌とした号令は彼の心を孤独な闘いからすくいあげたようだった。
 全身で抗ったのが功を奏したらしい。意識はクリアに、視界もほぼ回復してきた。残る手足の震えやそのほかの変調も、もう不思議と気にならない。船はまだ沈まず、仲間は無事だった――先刻までの錯乱はなんだったのかと思うほど、ジェシはいつもの狩猟精神を取り戻していた。猟虫を空へ解き放つ。
 小うるさく周囲を舞う猟虫にモンスターが苛立つ、その隙をついて棍を見舞った。暴れる巨躯の腹下を抜け、くぐりざまに斬撃を噛ませる。頭上を跳び越え操虫棍を叩きつける。
 幾度かの激しい攻防のあと、甲板がまた大きく傾き、勢いよく転がってきた樽を避けようとして黒き密航者はついに船床から爪をひきはがし宙へと羽ばたいた。
「今だ、大型弩砲バリスタ――!」
 団長と加工屋が駆け、次々と矢弾を放った。乱れる気流をものともせず、モンスターは信じられぬほど巧みに宙を翔けたが数発は命中したらしい。憤怒のわめきとともに船首方向へと逃げる――撃龍槍の射程内へ。
 ジェシは跳躍した。船首にある作動スイッチ、押しこみ型の大きなそれを落下の勢いのまま操虫棍で叩きこむ。圧縮されたエネルギーが解放され、船全体が鳴動した。鈍い駆動音とともに船首から一本の図太い槍が突出する。
「はずしたか……!」 しかしこの一瞬だけ、自然は人間の味方だった。
 波風に大きく煽られた船は、棘のある大槍の柄をモンスターの脇腹に叩きつけ、魔物は初めて本当の苦悶を喉から絞りだしたのだ。
 固唾を飲んで見守る三人の前で、正体不明の襲撃者はむせかえるように吠えつつ背を向ける。上下にふらつきながら飛翔し、雨のやんだ海上を遠ざかっていった。
「……行った……」
 呆然と、ジェシと加工屋は異口同音に呟き、長い息を吐いた。
 遠く目に入った水平線では、海と空の隙間が開き、嵐の終わりが薄黄色く輝いている。
 このまま倒れこみ、ジェシは百年眠っていたい気分だった。とはいえ船は依然として荒海の真っ只中。暴風域を抜けるまで気は抜けない。
 そう思うかたわら、団長が笑顔で自分への信頼を延べ、無言で頷く加工屋の肩越しに団の仲間たちが、まだ不安げな表情を船室からのぞかせるのを見つけると、専属ハンターとしてひと仕事終えたという充足感がじんわりと満ちた。
 危険は去った、もう心配ない。そう教えてやらねばならない。
 土竜族の娘はまた泣くのだろう。挫いたのか、団長が片足をひきずっている。竜人商人ならよく効く薬草を持っているはずだ。俺は料理長のホットビールが飲みたい。それどころの場合じゃないと小言を喰らうだろうが。
 誰一人、欠けずに済みそうで良かった――しかし、そんなジェシの安堵は、団長の白鷹の再びの警告によって千々に霧散してしまった。
 鷹の視線の先。鈍色の空に一点、穴を穿ったかのように闇があった。撃退したはずの魔物。一直線に船に向かってきていた。
 これはぶつかる気だろう、と思った。
 気色の悪い外見どおり、陰険で執拗なモンスター。あの勢いでは船は真っ二つに割れて海の藻屑となる運命だ。防ぐにはやつの鼻面を殴って進路を変えるしかない。でも、もう大砲や大型弩砲は間に合わない。
「馬鹿、やめろ――」
 団長の焦った叫びが背後に聞こえたが、ジェシの足は駆けだしていた。
 猟虫は放っておく。身体を軽くするために。
 こんな大海の中心で、船を大破されてたまるか。
 泳げない者まで荒波へ放り出されてしまう。誰かがきっと死ぬだろう。
 あるいは全員無事ではすまない。そんなことが許せるか。
 やつが何者だろうと知ったことじゃない――叩き落とす!
 船床を砕きかねない操虫棍の刺突音がした。次の瞬間ハンターの身体は弾丸の速度で宙へ跳び出し、放物線を描く絶頂で、なお高く刃はジェシの頭上にあった。
 足下は泡立つ海。彼を上回る致死的なスピードで、眼の無い顔が目前に迫る。
 そして狩人の視界が闇一色に溢れ、渾身の操虫棍が振り下ろされた刹那――ハンターとモンスター、二者とはまったく別の巨大な力が、突然彼らのあいだに暴力的に割りこんできた。
 己の武器が魔物に届いたのか、弾かれたのか。ついにジェシは知ることができぬまま、衝撃に全身を打ち砕かれて、破壊された船の木切れとともに宙を舞っていた。完全に意識を手放す間際に見えたのは、団の船のものとは異なる金剛色の撃龍槍。
 ――誰かが俺の名を呼んでいる。団長? 聞き覚えのあるような、ないような……。
 しかし狩人の身体は、もはや指先を動かすだけのわずかな余力も残さず、黒く寒々しく、重苦しい海水に包まれて、次第に深みへ沈んでいった。


(おわり)



マガラ幻想

久々に文など。
いつもメモ帳にいれて腐らせておくタイプの自分用小ネタ文でした。


 MH4 欠片文  天廻の門


 風鳴りの村に虚ろな風が吹く。あちこちでカラカラと回る、主を失った風ぐるまの乾いた祈りの音が、いまだに揺らぐジェシの胸をしんしんと責めたてていた。
 雲は速い。紫がかった鋼色の帯が幾筋もたなびき、槍のように空に突き出でた岩の峰々のあいだをすり抜けていく。隙間から時折り金のきざはしとなって陽光が差し込んだが、それも一瞬で、惜しむ間もなく幻のように世界は再び不安に還った。
 天がざわめいている。下界にまで災いの手を伸ばして。
「――まだ、決心はつかないか」
 飽きもせず彫像となって凍りつき、天空山のそそりたつ峻峰を見つめるジェシに、歩み寄った団長が父のように問いかけた。彼の踏む小石のかすかな音はハンターの不自由な右耳には届かなかったが、腕にしがみついた猟虫が主人を触角で叩いて報せていた。
「ギルドはおまえに期待しているが、この村の人々はおまえを犠牲にしようなどとは夢にも思わん。村は諦めてもいいんだぞ。禁足地を、今までより少しだけ広げりゃいいってことで」
「あんたはそうは思ってないんだろう、学術院の書記官殿。村を封印しても、シャガルマガラが下に降りない保証は無い。実際、脱皮前には海にまで降りてきたわけだし」
「それじゃ、もう一度やつを狩れるか」
「ここは遺跡平原じゃない――ひどい足場だ。天空山での狩りはつらい。おまけに大僧正の話だと、禁足地は崩壊しかかった峰の上で、行くだけでも生死の保証はできないとさ。一方で龍には翼がある。リオレウスが泣いて王者の名を返上するような飛行能力だ」
「まったくな。おまえ史上でも最悪だよなあ」
「俺史上ね。どうだろ、あんたとお嬢のいつもの依頼ほどじゃあないよ」
 ジェシの冗談に、団長は帽子に手をやり「こいつは手厳しい」悪かったと謝った。俺もたまには反省するか。ああ、ぜひ、そうしてくれ。
 硬質な陽光が頭上をよぎり、二人は少し笑ったが、また風ぐるまがカラカラと回る。
 村を雲が通りぬけていった。
「断るか、ジェシ。ハンターの勘を大切にしろ。団員も村人も、みんなおまえの味方だ」
「いや、団長、そうじゃない。違うんだ。俺は狩りに行ける。環境も獲物も最悪だが」
「それ以上に迷う理由があるか?」
「なんというか、うまく納得できない。俺にはよくわからないんだよ」
「なにがだ」
「……なぜ今まで人に姿を見せなかった古龍が、下界に降りてきたのかが」
 ジェシは口を閉じて自分の内部に言葉を探し、鋼色の峰々に視線をさまよわせた。
 ――この光景。
 昆虫の脚にも似たいびつに鋭い岩槍が群れをなして雲海から貫き出、さらに上空の天に霞む。硬い岩盤に強固に根差し、意志あるもののごとく絡みついた驚異のツタが山々をつなぎとめ、落盤した大岩を受け止めて宙にぶらさげている。その隙間を渦巻いて駆け乱れる気流。
 空はつねに薄曇りで、大気は鈍い銀色の輝きを抱き、命と色彩に溢れた地上とは完璧に切り離されたここは異界だ。許された者のみが息づく天空の世界。
「シャガルマガラは、どうしてあの鱗粉を撒き散らすんだ? 暴れるわけはなんなんだ。なぜここから地上に降りてきて、なぜ他の生き物を狂わせる。何ひとつ龍の言い分もわからないまま、俺はあの龍を殺すのか?」
「ハンターらしくない台詞だなあ。マガラの性質がどうであれ、鱗粉がやつ以外の他の生物を狂わせ、自然の均衡を崩しちまうことは事実だ。俺が思うに、鱗粉が含むウィルス自体に意味はない。だが人が感染すれば体力が落ちて、ただの風邪みたいな病でも死んじまう。襲われた村では襲撃そのものの被害よりも、肺炎での犠牲のほうが多かったと筆頭連中から聞いただろう。――ハンターなら、狩る理由はそれで十分すぎる」
「そうだよな」
「ジェシ。なにか、ひっかかっているんだな」
「長老が言っていた。あの龍は、ただ故郷に帰ってきただけなのかもしれない、とね」
 団長は深い色の眼差しを一瞬ジェシに向け、そうかと言った。
 昔に故郷を失い、以前は各地を流れ歩いていた青年と並んで腰をおろし、山を眺めた。
「……おまえらしいなあ。その言い伝えは俺も聞いた。だけど、おとぎ話だよ」
「竜人族の十四代というと、だいたい何年くらいかな」
「彼らの寿命は俺も知らん。だが人間よりゃずっと長い。ある婆さまが自分は三百歳だと言うのを聞いたことがあるから、十四代なら軽く千年以上にはなるだろう。伝承に残る、以前の大災厄の時期はな」
「あのゴアマガラが、そのときの子供だったら?」
「おとぎ話だよ、ジェシ」
 ――遠い昔の物語だった。
 山から悪しき風が吹き、生き物たちは心蝕まれて互いに喰らいあい、あとには骨と血だけが残された。山は風音のみ響く死者の地となり、再び命が帰るまでには長い月日がかかった、と。
 シナト村の老人たちが、祖父母、そのまた祖父母から伝え聞いた災厄の物語はまるで樹木のように枝分かれして、話のすじも結末もいろいろだったが、その中のひとつを、ジェシは忘れることができなかった。
 荒神退治の話だ。それは繋がった二枚の翼の姿をして、まばゆく輝きながら山の頂に現れたという。風を操って生き物を苦しめ、山に滅びをふりまいたが、最後は自身も天罰に当たって死ぬことになる。人々の祈りが天に届き、雷が翼を貫いたのだ。翼は散りぢりに破れたがその怨念は凄まじく、死の間際に新たな一対の翼を産みおとし、またいつか廻り来ると叫びながら墜落した。人々は落下した小さな翼を下界へ追いかけ、しかしそこに砕けた白亜の欠片が散らばるばかりの大地を見つけた。何事もなく山は静寂を取り戻し、話はめでたしめでたしで終わる。
 ――けれど。
 鋼色に流れる雲の帯。群れ立つ鋭い槍の峰々。その物語を聞いたとき、ジェシの脳裏に浮かんだのは、暗い山々のあいだを一直線に転落していく純白の古龍の幻想だった。
 翼は、きっと龍だったのだ。漆黒のマガラとは、色はかけ離れているけれども。そして龍は母だったのだ。仔を産みおとして果てた。
 あの海の大嵐の中を自在に翔けていたゴアマガラの姿が、ジェシの眼には焼きついている。暴風をものともせず、むしろそれこそが生きる場であるかのように舞い踊る古龍の姿。生まれ落ちた直後から鹿は自らの脚で立ちあがり、魚は水中を泳ぎだす。天に棲む龍が墜落しながら世に生まれいで、両目を開くよりも早く翼を広げて風を掴んだとして何の不思議があるだろう。
 伝説のなかに産み落とされた小さな翼。それは、あのゴアマガラだ。
 ジェシは、そんな気がしてならなかった。
「――ただ、生まれ故郷の風が懐かしくて帰ってきただけだったら?」
「龍の思考を人と同じと考えるな」
「……そうだな」
「狂い死にさせようとして、あの鱗粉を撒き散らすわけじゃないのと同じようにだ」
「それでもあいつは死ななければならないか。シナト村の人々の故郷を守るために、俺がシャガルマガラから故郷を奪うのか」
「前にも言ったろう、ジェシ。あの龍は、地上の世界とは相容れない存在なんだ。おそらくこの天界の山々のどこかには、まだ俺たちの知らない生き物が数多くいて、シャガルマガラのうまく組みこまれた生態系もあるのだろう。俺たちが遭っているのは、そこを出てしまった個体なんだ。たとえ龍に悪気はなくても、このままでは弱いほうが滅びる」
「ああ……、本当はわかってる。割りきらないとな」
「狩人よ――」
 口元に笑みを浮かべ、団長はがらんとして人けのない村を眺め渡した。
 ギルドの勧告に従って、村人のほとんどはすでに村を離れている。シャガルマガラの脅威が取り除かれないかぎり、二度と戻れないかもしれない。
「そうやって悩むおまえだから、シナト村の人々は運命を任せたのだろう。疑問も抱かず、金や戦いのためだけに武器をふるうハンターなど大勢いる。おまえは龍への、生き物への尊敬を忘れていない――猟虫使いのジェシ。虫と共に生き、人が自然の一部でしかないことを知っているおまえだからこそ、この山で封印の門を代々守り、天地の生命を守ってきた竜人族も、おまえの判断を信じることにしたのだ。……と、まあ、俺はそう思ってるが」
「――天へ、追い返せればいいんだけどな」
 そんな生半可な覚悟では、たぶん死ぬだろう。
 息を吐き、ジェシは身動きした。指先が風に冷えて固まっている。動かしているとすぐに血が巡って温かくなった。右腕にしがみついた猟虫が触角を細かく震わせ、狩りの気配を敏感に嗅ぎ取っている。
「そうか――行くか」
「俺は鉄砲玉のあんたじゃないんだ、まだ行かないよ。とにかく条件が悪い。いろいろ準備してからじゃなきゃとても行く気にならないね」
「ハハ、そりゃそうだ。どうもおまえにはだいぶ迷惑をかけてるらしいなあ、俺は。――だが、腹は決めたんだな」
「最初から決まってるさ、狩るしかない。でも俺は、殺しに行くんじゃない」
 ジェシは立ち上がり、尻についた砂埃を払った。
 けれど狩人はそのまま動かず、しばらくのあいだ、灰色の空を貫く岩峰群を無言でじっと眺めていた。主を信じきり、眠ったように大人しい猟虫を右腕にとまらせたまま。
 天界の遠い彼岸では絶えることなく、高く低く、吼えるように泣くように、風の音が聴こえ続けていた。

(おわり)

アンソロ企画始動

短編アンソロG企画、ドンドルマ・レポートをHunterlogueの避難所に正式にUPしました。

▼URL;PC用
http://mhn.s504.xrea.com/mts.cgi?

▼URL;携帯用
http://mhn.s504.xrea.com/mts_mobile.cgi

*作者名は 共著企画 になっています。

フルベビ紀行

ドンドルマ短編集企画にロッソ・チネリさんから寄稿作品です。ありがとうございます^^

正式にHUNTERLOGUE避難所で短編集企画としてまとめてありますが、
掲載場所は多いほうが誰かに読んでもらえるかな、という個人的判断でこちらにも残しておきます。
削除要請はツイッタのほうへよろしくお願いします <(_ _)>




 フルベビ紀行
ロッソ・チネリ著 


“伸びるよ 伸びる フルフルと
 ほっぺためがけてパックンチョ
 ながーく首を伸ばしてみれば あたしゃ、そんなに待てないよ
 ちょいとお待ちよお客さん
 噛みつく相手はおいらじゃないよ
 よくよく練って
 よくよく伸ばして
 白がいいかい? 赤がいいかい?
 どっちも欲しいときたもんだ!
 さすがは我が町ドンドルマ
 胃袋 ふところ 金冠サイズだ!
 さあさ、できたよ 持ってけメラルー
 おやまあ まるっと飲み込んで
 どっちがどっちか 分かりゃしない!”


 第一景・夏の風物詩


 カルチェのフルベビアイスはいつでも満員御礼。中央広場に屋台や呼び売り商人の姿は数あれど、暑い盛りに売り出されるこの冷たくて甘いお菓子は温暖期の風物詩だ。岩窟院の学生もギルドスタッフのお姉さんも、ドンドルマっ子なら誰でも知っている。
「とは言ってもだ。所詮コイツぁ、まがい物さ」
 ようやく並んで手に入れたフルベビアイスなのだが、目の前のハンターはちょっと皮肉そうに笑う。
「じゃあ、それも私が食べてもいいですよね?」
「まだ自分の分食べてるじゃねぇかよ」
「甘いものは別腹です」
「別に不味いって言ってるワケじゃないさ。それに経費で落ちるんだろ?」
「そりゃあ、まあ。そうですけど……」
 月刊・狩りに生きる、といえばハンターならば知らぬ者はいない雑誌なのだが、残念ながらこちらはしがないタウン誌である。
「なんて雑誌だっけ?」
「『ドンドルマなう』です」
「どこら辺のセンスだ、そのネーミングは」
「うるさいですよ。印刷所は同じなんですから」
「間借りしてるだけ、と」
「うー!」
 その昔この場所が氷河であったことを示すかのように、ドンドルマは切り立った山間に張り付くようにして存在している。歴史としてはドンドルマより新しいジォ・ワンドレオからの旅人は、まずその山道に閉口する。どうしてこんなところに人が住んでいるのか。東西貿易の要であり、いかだを組んだ水上都市の住人には今ひとつ理解できない点が多い。川を遡上してその恵を受け取ることはあれど、こんな坂道ばかりの場所には到底住む気がしないというのが大方である。
「少し下れば小さいながらも扇状地が広がってるのに、どうしてここの住人はそっちに町を作らなかったんだろうなぁ」
「あら、ハンターのクセに知らないんですか」
「何が?」
「ここはあの巨大な龍、ラオシャンロンが通るんです。そんなところに町なんか造ったらペシャンコですよ」
「ならもっと別んとこに作るとか」
「よくは知らないですけど、元々ここに町を築いた先住民がいたんだそうです。そこを大長老さんが指揮して今のドンドルマを作り上げたって、岩窟院の文献にはあります」
「なるほどねぇ。イチから作るより楽ってワケだ」
「アリーナの石組みは、その時に切り出した石からできてるそうですよ」
「さすがは『ドンドルマなう』の記者。よく知ってるじゃん」
「貴方にそう言われると複雑な気分がするんですが」
「褒め言葉は素直に受け取ろうよ。もてないよ?」
「貴方に心配されなくても大丈夫です。彼氏、いますもん」
「こんなちんちくりんな娘……ぬわっ、危ねぇ!」
 スプーンで伸ばされたアイスがハンターを仰け反らせる。
「話、続けますよ」
 困難多きドンドルマ開拓の副産物として数多くの鉱脈が発見され、今日の工房の発展に繋がっていった事は想像に難くなく。掘られた横穴や、偶然にも発見された洞穴は今でも倉庫として使われている。季節を問わず一定の温度を保つそうした洞窟はこと、食料の保存にぴったりの場所だった。
 これに目をつけたのがカルチェの初代である。
 彼は洞窟の中を氷結晶で内張りすることを考えた。雪山では一般的な氷室を再現しようと思い立ったのである。アイディアとしては珍しいものではなかったが、それを実行しようと思い立った者も稀である。なぜか。天然の洞窟であればワインセラーとしては充分だし、地下水に浸しておけば夏でも冷たい食材が楽しめる。誰も凍るほどの低温を必要としていなかったのだ。それでも彼はドンドルマに氷室が欲しかった。
「暑がりなんだな、きっと」
「アイス、没収しますよ」
「えー」
「えー、じゃないです。そういう人はアイスを食べる資格はありません」
「もう半分食べちゃったよ?」
「あとで請求しますから。大丈夫です」
「お、鬼がおる……」
「まあ確かに、料理人のこだわりと言えばそれまでなんですけど。この初代の方はどうも北国の生まれのようでして。少しはノスタルジックな気持ちがあったのかもしれません」
「おかげでここドンドルマじゃあ、他所じゃ食えないとろける様なステーキにありつけるんだけどな」
「あら。ハンターといえばこんがり肉なんじゃないんですか?」
「たまにゃ、筋張ってない肉も食いたくなるさ」
「見かけによらず、贅沢なんですね」
「一言、余計だって」
 彼がなぜ、そこまでして食材を冷やしたかったのか。本当に故郷を懐かしむ気持ちだけだったのか。ムッシュ・シエロに代表されるように、人の美味いものに対する追求は余人の計り知れない領域にまで達するのだろう。そうしたこだわりが今こうして目の前にあるフルベビアイスとなった事は、例えその成り立ちを知らなかったとしても素直に祝福したい偉業であることに間違いはない。
 温暖なドンドルマにあって夏でも溶けず、疲れた身体に染み渡る甘さ。
 たちまち町一番の名物となり、瞬く間にカルチェの名は広まったのである。
「それが皮肉なことか、その秘密を暴いていったのもハンターなんだよねぇ」
「え……。ハンターの間では周知の事実なんですか!」
「そこまで驚かんでも。アイス、落ちるぞ」
 みょーんと伸びたアイス。辛くも受け取って頬張ることに成功。
「うぐぐっ……」
「まったく面白いお嬢ちゃんだ。しょうがねぇな、ついて来なよ。特別に秘伝の知識を披露して差し上げよう」


 第二景・香りが運ぶもの


 中央広場には多くの露天が並ぶ。大衆酒場のある西側では生活雑貨や服飾を始めとする店が手ぐすねを引いて客を待ち、アリーナのある東側では食材・食品を扱う店が声を張り上げて道行く客を誘惑する。そんな坩堝のような露天市場においてドンドルマの胃袋を一手に引き受ける西区の市場はまさに雑多な物を扱っていた。
 薬草や解毒草などの野草を扱う薬草屋。その中でも食用に適した部分に特化した食材屋。ハンターの消耗品を数多く扱う調合屋。燻製を売りにしている店もあるし、薬草を含めて治療薬を作って売りに出す薬屋もある。それぞれがそれぞれのニーズに応じた素材を欲しており、同じ素材でも目的が違えば採取する産地も季節も違う。
「ハンターって人種はただ持ってくりゃいいって考えてる輩が多くて困るねぇ!」
 大きな身体を揺すりながら薬屋の女将さんが笑う。
「市場のおっかさんってのは、何だってこうも肝っ玉かねぇ……」
「そりゃあ、アンタ。商売は気力・体力・面の皮。度胸のひとつも据わってなけりゃ。おまんまの食い上げさね。冷やかしでも帰るときにゃ、毎度ありって買わせるのがあたしらの心意気ってもんよ」
「てなワケで覚悟しろよ、お嬢ちゃん」
「はい?」
「財布の中身はオーケーか? 腰は据わったか? こいつぁ狩りだぜ?」
「……なんだかよく分かりませんが、貴方を盾にする準備はできました」
「それ、酷くない?」
「おばさん、この方が私に色々買ってくれるそうです」
「あいよー。さあ、逃がさないよー!」
「女って怖えぇ……」
「それで一体、何をご所望だい。風邪薬かい、虫下しかい、それとも熱さまし?」
「万能薬さ。オルキス・マスクラの球根。あるだろ?」
「おやまあ! お連れさんは彼女かね。今夜はお楽しみなのかい」
「誤解だ」
「訂正して下さい」
「二人してまあ、息もぴったりだねぇ」
「説明、してくれますよね?」
「賢者の目でにこやかに微笑むのはマヂ勘弁して下さい……」
 薬屋の軒先に鈴なりに吊るされた干からびた球根。女難の相によって弁明苦しいハンターのために説明すると、オルキス・マスクラとは一部の地域に自生する野性蘭である。高度のある比較的乾燥した低草地帯に育ち、質の良いものを入手しようとするとそれなりに苦労するモノだ。
「最近じゃ都市部のワイン畑や果樹園にも生えてたりするけどねぇ」
「そういうやつは小さいし効能が薄い。高値にはならねぇよ」
「おやおや、よく知ってるじゃないか。さすがは殿方、お盛んだね!」
「頼む。そう誤解のある言い方はカンベン。お嬢ちゃんに睨み殺されます……」
「風邪薬、咳止め、整腸剤。食欲増進に、なんてったって飲めばたちまち元気な強壮薬だ。王都くんだりじゃあ、王侯貴族の秘中の秘。手のひら一掴みで同じ量の金と交換だなんて、まことしなやかに言われてるねぇ!」
「じー」
「……居た堪れないので許して下さい」
「オトコは尻に敷かれた方が可愛げがあるさぁね!」
「とにかく。これがカルチェの秘密だ、お嬢ちゃん」
「ほー。あんた、ちょっと見かけによらない博識ぶりじゃないか」
「その貴重さをこのお嬢ちゃんに教えてやって下さい……」
「しょうがないねぇ。ちょっと待ってなよ……」
 女将さんはおろし金を持ってきて手近な球根を擦り始める。茶色く乾燥した見た目からは想像できない、真っ白い粉末が擦り上がる。
「ほら。嗅いでみなよ」
「あ、これ……アイスの香り?」
「そいつがカルチェの秘密ってワケさ」
「あそこの旦那はねぇ、昔は薬売りだったのさ。北からやってくる行商人。旦那の故郷じゃこの粉末を飲み物として飲んでいたんだと。民間療法ってやつさね。あの屋台、寒冷期になると入れ替わりにもうひとつの名物が出るだろ?」
「フルルンドリンクですね」
 伸びるアイスが暑い温暖期の風物詩とすれば、ドンドルマの象徴である大老殿を真鍮で模ったサーバーは、寒冷期の風物詩だ。中には熱々のミルク飲料が収められていて、鼻先に近づけると薬湯のような香りがする。不思議と癒されるその香りを楽しみながら、ふうふうと冷ましながら啜れば臓腑に落ちていく甘みがすっかり寒さを吹き飛ばしてくれる。
「もしかしてフルベビアイスって、フルルンドリンクを冷やしたもの……?」
「そこを俺らが答えるワケにゃ、いかねぇな」
「そうさねー」
「ま、カルチェの名物ってのはちょっと独特の香りのする食べ物が多いだろ? シナモンとか」
「言われてみれば……そうですね、確かに」
「それが他のどんな食べ物屋台にも真似できないノウハウさ。クセになったらやめられない。見た目を楽しませ、香りで惹きつけ、味で虜にする。カルチェがこのドンドルマで繁盛する本当の理由は、商売上の秘密だけじゃないのさ」


 第三景・恵みの味、狩りの季節


「はぁ……」
「太るの気にしてんのか。お嬢ちゃんはもっと食ったほうがいいぞ。ただでさえちんちくりん……」
「ワザと言ってます?」
「み、みょーん」
「とぼけても駄目ですよ。まったく」
 広場に戻り、本日二度目のフルベビタイムである。売り口上に釣られてついつい財布の紐が緩む。暑くて開放的になっているせいだと思いたい。
「んじゃ、なんだよ」
「結局分からずじまいだったってことですよ。あなたの言ったことが」
「俺、何か言ったっけ?」
「このアイスはまがい物だって話です。忘れたんですか?」
「その話ね……どうしてもって言うなら話してやらないこともない」
「貴方にしては歯切れが悪いですね」
「覚悟して聞けよ……」
 そもそもフルベビアイスなる名前の由来は何か。
「見た目が似てるからじゃないですか?」
 みょーんと伸びるアイス。
「そうあって欲しいなとハンターは思うワケよ」
 負けじとみょみょーんと伸びるアイス。
「お嬢ちゃんはフルフル見たことある?」
「岩窟院のスケッチなら。あんな気味の悪いモンスターもいるんですね」
「そうそう。目がないのに口だけは立派でな。ギザギザの歯を剥き出してこっちに噛み付いてきやがる。イマイチ何考えてるのか読めなくて苦労する上に、的確にハンターを追いかけてくるんだから、そりゃビビるぜ」
「獲物を丸呑みにするって聞きましたけど……」
「ああ。このアイスみたいに首を伸ばしてな。あいつを狩るときは頭上に注意だ。後ろを振り返ると仲間がいない……なんてホラーなことになる」
「嫌ですね」
「ああ。あれは堪らん」
「その子供みたいだからフルベビアイス、と」
「残念。みたいではなく、子供そっくりなんだな」
 モンスターの生態については謎の部分が多いが、その多くが卵生であるということは知られている。フルフルもまた卵生であり、産みつけた卵はときおり沼地や雪山などで発見される。どういう原理かは知らないが、そばに近づく生体に反応して孵化を早めるらしい。産卵場に気づかずに採掘や採取に勤しむハンターが、ふと気がついたら孵化したばかりのフルフルベビーを腕にぶら下げていたということが稀にある。親に似て目は無く歯の生え揃った口だけのプニプニした白い塊。ぴちぴちと振られる尻尾は無邪気で、ちぃちぃと鳴くその姿は愛らしい……人によっては。
「みょ、みょーん……」
「気持ちは分かるが食べ物で遊ぶなよ」
「うー」
「だからまあ、そいつを手持ちのマカ壷に放り込んだって悪気はなかったんだよ。きっと」
「マカ壷って。マカ麹で発酵させるあのマカ壷ですか?」
「そう。竜人族に伝わる秘伝の発酵食品な。好きなやつは堪らなく好きで狩場に持っていく奴もいる。いや、まさかあんなことになるとはなー」
「貴方なんですか?」
「もう衝動的にぶち込んだんだけどな。気持ち悪くて。でもこれどうすっかなと冷静に考えてみた。お前さんならこの蓋開けようと思うか?」
「思いません」
「だろ。それで普段からイラッと……じゃないお世話になっている山菜ジジのところに持っていくことにした。ジジならなんとかしてくれるだろう、と」
「悪意が透けて見えますよ」
「善意だって、ホント。そもそもマカ漬けは竜人族の食文化だ。フルフルベビーの一匹や二匹、入れたことがあるはずだ……たぶん」
「嘘くさいですね……」
「まあ聞けって。それで俺は、いつものように氷結晶の採取を巧妙に邪魔してくれるジジのところへそいつを持っていった。そしたらな、小脇に抱えたマカ壷を見るや、ジジの奴が見たこともない嬉々とした表情で手を出すじゃないか。この波に乗り遅れてはと俺は愛想よくその壷を差し出した。いままでこれほどまでに気持ちのよいトッテオキ交換があっただろうか。いやない」
 ジジはいつにない喜びに溢れた動作で背負った籠を開けた。歯切れのよい掛け声と共にハンターに手渡されたものはなにやら冷たい物体。つい先ほど腕に食いついていた物体によく似た、白くて目が無くてプニプニした感じの……どうやら食べ物らしい。
「気分一転、俺はフルフルに丸呑みされた気持ちで一杯だったよ。ドン引きだ、そうドン引き。山菜ジジはすでに俺のことなどアウト・オブ・眼中。ベビーの入ったマカ壷を大事そうに抱えながらその蓋を撫でさする。立ち尽くす俺を見上げるジジ。杖で追い払われるかと思いきや、これまた見たことも無い顔で笑いやがった。もう恐怖だ。ホラーだ。ニヨニヨしている山菜ジジなど山菜ジジじゃねぇ。俺はもう何がなんだか分からなくなって駆け出していた。この恐怖がお嬢ちゃんに分かるか?」
「いえ。さっぱり」
「くっ……ま、まあいい。ベースキャンプに戻った俺は、いまだ手に握り締めている物体に気がついた。そう。俺の腕に食いついていたフルフルベビーによく似た食べ物だ。あの時、俺はきっと正気じゃなかったんだろう。全力で走った身体は渇きを覚え、瑞々しいその食べ物を欲していた。腰に下げた水袋の存在を忘れ、俺はおもむろにそいつを口に運んだ。そう、俺はハンターだ。食われてなるものか。食うのは俺だ、と」
「食べたんですね」
「ああ。食べた。一心不乱にな。何かに取り憑かれるように。食いついては伸びてくるそいつを、食って食って食いまくった。頭がキーンとした。構うものか。この世から消えてなくなれ。こんな美味いもの、人に渡してなるものか……」
「……はいっ?」
「いやー。ほのかに香るマカ麹の発酵臭。これがまた食欲をそそって止まらない。この世にこんな美味いものがあったものかと感動したね。それからというもの雪山に行くときはトッテオキ目当てにマカ壷を常備さ。この話、お嬢ちゃんだから教えるんだぜ」
「そ、それはどうも……光栄です」
「とまあ、カルチェのアイスがまがい物だって理由。分かったか?」
「貴方が正真正銘のド変態だってことがよく分かりました」
「なんですと!」
「冗談です。そんな悲嘆に暮れた顔しないで下さいよ」
「ったく……。最後までお嬢ちゃんには振りまわされっぱなしだぜ」
「たまにはこんな休日もいいんじゃないですか?」
「まあな」

 ドンドルマは温暖期の風物詩、カルチェのフルベビアイス。
 そしてその元になったといわれる山菜ジジのフルベビアイス。

“……似て非なるふたつの食べ物に共通するものこそ、狩猟都市ドンドルマを象徴するモノに他ならない。小さな私をその影で覆うように立ち上がり伸びをする男。温暖期の日差しを浴びて逆光がその輪郭を彩る。自然の恵みを届けるハンターたち。その活力こそがこの都市の力であり、彼らの働きこそがこの町の繁栄である。偉大なる開拓者たち。彼らによって切り開かれた道を人々は歩む。迷うことはない。ハンターがいる限りヒトは自然と共存できる。その豊かな恵みはこうして露天の名物ひとつ取ってみても等しくもたらされているのだ……”
「最後に。こちらの取材に協力を惜しまず尽力してくれたひとりの名もなきハンターに幸多くあらんことを。珍味に飽きたらまたドンドルマのフルベビアイスを食べに来て欲しい。カルチェは今日も満員御礼です」
「なに読んでんだ?」
 波間に揺られながら双剣使いが冊子から目を上げる。
「『ドンドルマなう』だ」
「すごいセンスだな」
「だろ。でもまあそれなりに暇つぶしになるぜ。読むか?」
「あとでな」
 道具に背を預けてガンランス使いの連れは昼寝を決め込むらしい。双剣使いは再び記事に目を落とす。
「しょうがねぇな。狩りが終わったらまた遊びに行ってやるよ。お嬢ちゃん」
 ジォ・ワンドレオから砂漠への道行き。帰る頃にはフルベビアイスが恋しくなる。その時には熱帯イチゴでも手土産に持っていこう。
 帆をはらむ風は心地よく。
 船べりを揺らす波は今日も穏やかだ。
 身体に馴染んだゆりかごのようなゆらぎに身を任せながら、いつしか双剣使いもまどろみに落ちていく。まぶたに遠くドンドルマを思いながら。

ドンドルマの食卓 メシマズ編

ドンドルマ短編集企画にアッシュドランカーさんから寄稿作品です。

電光石火の寄稿、ありがとうございました!
正式にHUNTERLOGUE避難所で短編集企画としてまとめてありますが、
掲載場所は多いほうが誰かに読んでもらえるかな、という個人的判断でこちらにも残しておきます。
削除要請はツイッタのほうへよろしくお願いします <(_ _)>




 ドンドルマの食卓 メシマズ編
アッシュドランカー著 


 玄関の木扉が控えめにノックされる。応対に出る前に、米袋が地面に降ろされたような音がした。嫌な予感がする。素早く玄関に駆けより扉に開けると、手紙が添えつけられた麻袋と、逃げるように離れていく見慣れた背中があった。
 せめて説明しろバカタレ、とあの背中に叫んでやりたい気持ちもあったが、とりあえず添えつけられた手紙に目を通した。
「ドドブランゴの肉です。腐りやすいから、早めに食べてね」
 ミミズのような文字で書き殴られたそれに、軽い目眩を覚えた。まぁ、貴重なタンパク質をタダでもらえたと考えれば、ね。
 5kgはあろうかという麻袋を厨房に運びこむ。袋の口からは、鼻を押さえたくなるような獣臭が渦巻いていた。やっぱりタダほど高い買い物は無いかもしれない。思い起こせば、前に奴から貰ったグラビモス肉の処理には苦労した。奴を死体遺棄で訴えたら勝てる自信はある。

 とにかく、調理台の上に肉をのせる。中には氷結晶も詰め込まれていたため、肉の量は実質4kg弱といったところだ。前回のグラビモス肉のような、内出血のさせ過ぎでどす黒く変色している様子がないのは救いだった。ただ、普通市場に出回るような竜肉獣肉とは違い、ずいぶんと赤黒い。献血の時に見る、静脈血みたいな色をしている。
 肉のまわりは分厚い脂肪に覆われており、いかにも寒冷地のモンスターといった風情だ。ただ、脂肪の色は雪のように真っ白な霜降りなのではなく、ところどころ黄色く変色していたり、鮮血のようなピンク色になっていた。人生初のドドブランゴ肉は、なんとも食欲が減衰する色彩を放っていた。
 たぶん――いや確実に、食肉用の処理とかしていないんだろうな、コレ。

 ケース1 ドドブラステーキ

 深く重いため息を出し尽くした後、いよいよ調理を開始することにした。肉には既に骨が取り除かれ、ある程度はブロック状に切り揃えられていた。汚染されていそうな脂肪の表面を切除し、初めは1cm厚のステーキにしてみることとした。まぁこれで肉の本来の味がわかるだろう。
 適当に塩コショウを振った後、猛牛バターをひいたフライパンの上に載せる。強火にかけると厚い脂肪が勢いよくはじけ始めた。よしよしと頷いたのも束の間、脂肪に火が燃え移る。慌てて火から離してみたが、火が消える気配なし。ワーオ。
 はい、上手に焦げましたー。今更ながら、ドドブランゴは火に弱いということを思い出す。肉質そのものも火に弱かったようだ。そういやグラビモス肉を煮込む時は苦労したもんなぁ。……ほんとに、苦労、したんだよなぁ。
 
 黒焦げになった部分を泣く泣く捨て、今度は弱火でじっくりと焼くこととした。レアのほうが上手いのかもしれないけれど、寄生虫とかがいたら怖いので、ウェルダン一択。今度は焦がすようなヘマをしなかったのだが、別の問題が出てきた。
 すごく臭い。控えめに言えば獣臭い。控えめに言わなければ、食事中には言ってはいけないアレを焼いているような臭いがする。焼きあがるころには、フライパンに臭いが染み付いてしまった。たわしで擦っても中々臭いがとれず、涙がちょちょぎれる。

 まぁ、皿に盛りつけられたドドブランゴステーキは、中々ジューシーで旨そうな佇まいであった。臭いも大方フライパンの方に移ったのか、食に耐えられる程度にはなっていた。適当にハーブでもまぶして誤魔化そう。
 さっそくナイフで切り分けて……、切り分けて……、切り……分け……てっ!
 鋸のほうが良いのではと思う程、肉が硬い。繊維も太く多く、素晴らしく鍛え上げられた筋肉だと感心させられる。額に汗がにじみはじめた頃に、ようやくステーキを全て一口大に切り分けることができた。さっそく口に運んでみる。口当たりはそれほど悪くないように思えたが、最初だけだった。
 噛み切れる気がしないうえに、噛めば噛むほどアルコール系の刺激臭と苦みが肉から溢れだしてくる。これは肉だ、ゴムじゃない。肉だ。言い聞かせる。無理でした。もはや無心で咀嚼する。
 3分ほどかけて、咀嚼完了。皿にはまだ1ポンド程の肉が残っており、思わず天井を仰いだ。

 神は我に七難八苦を与えたもうた。
 

 ケース2 ドド鍋ンゴ

 ドドブラステーキを食べきったことで、人として大切な何かを失った気がする。こうして世界はベジタリアンへと向かっていくと思うと感慨深い。この肉を食べきった暁には、奴にたっぷりとお礼参りしようと思う。
 ともあれ、ステーキはNGだったので、別の手段を模索することとした。手っ取り早く、ポッケ村から出稼ぎに来ているお隣さんに聞いてみた。
 お隣さんは、ブランゴ料理について嬉しそうに語ってくれた。話を聞いていると、先ほど自分が食べた肉はブランゴとは別の何かだと思えてくる。とりあえず一旦話を戻し、ドドブランゴ料理について聞いてみる。お隣さんの笑顔が翳った。肉を得た際の状況を聞いてくる。今朝ハンターから貰いました、状況はわからないと答える。お隣さんが察したような顔つきになった。細かく刻んで、強めに味付けして、とにかく煮込め、とアドバイスをくれたお隣さんは、足早に去ってしまった。去り際にぼそりと、駆除された奴の肉はねぇ、と言っていた。
 とりあえず、奴がくれた肉が危険物らしいことはわかった。お礼参りの内容が充実していくのを感じる。メモ帳にリストアップしておこう。
 家に帰り、調理に取り掛かる。調味棚から、ミソスパイスなるものを取り出してみる。この前お隣に引越してきたシキ国の方からの頂きものだ。味と匂いが独特なため中々使い道がなかったが、今回の調理にはぴったりだろう。
 強い味付けで、煮込むといえば鍋だろう。早速、肉を細かく切ることとした。
目標、親指の先端くらいのサイズ。肉に包丁を入れる。うまくカットできないので、2年ぶりぐらいに包丁を研いでみた。軽快に切れて気分が良いが、消耗も早かった。結局全ての肉をカットする頃には、研ぐ、切る、なまくらになる、を3ループぐらい繰り返した。明日は筋肉痛確定だろう(断じて、明後日以降ではない、断じて)。
 さらに、今回はカットした肉を下茹でしてみることとした。5分後、鬼のように灰汁がでてきた。すかさずボールに灰汁を移す。最終的には、灰汁だけで3品ぐらい作れるのでは?というほどの量となった。しかもこの灰汁、かなり臭い。お隣さんから苦情まで来た。灰汁は後で穴を掘って埋めておくことにした。
 下茹に手間をかけたおかげで、肉の匂いはかなりマシになっていた。ステーキに比べれば格段に柔らかい。ようやく鍋が作れる。秘伝のミソスパイスを多めに投入し、じっくりと煮込む。
 通常の3倍近い手間と時間をかけて、ようやくドド鍋ンゴ、完成です。
 汁を啜ると、体の芯までじんわりと暖かくなった。肉を頬張る。少々硬く獣臭いが、ステーキと比べれば随分とマシだ。季節は今、寒冷期。肌寒い日には鍋をつつくのが最高だ。今までの苦労を噛み締めながら、しわくて、硬くて、ちょっと臭いドドブランゴ肉を頬張る。そうして、鍋を食べきって一息ついたあと、しみじみと思った。

 やっぱり家畜は偉大だな、と。


 ケース3 ドドブランゴの塩ミルク煮込み

 ドドブランゴ肉を全て鍋に消費してしまうのも良いのだが、残り3kg全てを鍋、というのもさすがに飽きる。なので、さらなる情報収集のためドンドルマ町立図書館にやってきた。さっそく調理本コーナーに行く。さすがに狩猟都市だけあって、ジビエ、ブッシュミート、保存食コーナーはかなりのスペースがある。まずは安定のムッシュ・シエロ著の料理本を物色する。すると、そこには見慣れたアイル―が居た。奴の厨房の料理長だ。理不尽かも知れないが、皮肉の一つでも言ってやろうと思い近づいたのだが、思わずたじろいでしまった。奴のアイル―は、シエロ著のジビエ本を、修羅の形相で読んでいた。その目からは生気が失せつつある。彼(彼女?)の置かれている境遇も自分と同じなのだと気付くのに、時間はかからなかった。彼の肩にちょこんと手を置いてやると、泣き出してしまいそうなほど、申し訳なさそうな表情だった。どうやらこちらの事情も察してくれたらしい。我々は、仲間だ。
 とりあえず、下茹でしてはいけない、ミソスパイスとの相性は最悪、煮込み料理はNG、ステーキはわりといけた……などのアドバイスをした。生気を取り戻し、笑顔で別れた彼の背中に、邪悪な笑みを堪えることが出来なかった。

 アイル―がいなくなったあと、いくつか本を読みこむ。お勧めの香味野菜が紹介されていたので、メモを取る。さらに、ブランゴ肉に関する記事を発見。あのアイル―には見つからないよう1週間ほど借りておこう。
 ブランゴ肉についてだが、旬は温暖期で、性成熟したばかりのメスが一番おいしいらしい。鍋や唐揚げ、カレー,煮物もいけるらしい。ただ、個体ごとの、季節ごとの味の差が激しく、素人には難しいと書かれていた。特にいけないのは、繁殖期から寒冷期の成熟オスで、この時期はメス争いのために筋肉が硬質化し、脂肪にはフェロモンの匂いが染みついてアルコール系の刺激臭を帯びるらしい。畜生め。だが、全てのドドブランゴ肉が不味いわけではないと知ることができたのは、今日一番の収穫であった。
 その後もいくつかジビエ料理の本を読み、市場へと向かう。棍棒ネギに塩ミルク、生姜などを手に家へ戻った。ラストのレシピはミルク煮とすることとした。最終的にも肉の匂いと味を消す方向でしか調理できなかったのは心残りだったが、仕方あるまい。
 肉を細かくカットし、下茹でして灰汁を取り、沸騰したミルクの中にネギ、生姜を投入後、ブランゴ肉を入れる。湯気からはミルクの甘ったるい香りと生姜の風味が香り、胃袋が鳴った。味見してみる。ミルクの中に浮かぶ、ピリリと生姜の味が効いたドドブランゴ肉は、今まで最も美味であった。甘いようで、辛いようで、それでいて暖かい料理となった。
 ドンドンと玄関の木扉が叩かれる。応対すると、ゲッソリとやつれた奴が立っていた。足元には料理長のアイル―が、彫刻みたいな表情を作っている。大体の事情は察した。一人と一匹を家に招き入れ、ドドブランゴのミルク煮を振舞ってやることにした。
 まぁ、お礼参りはドドブランゴ肉を全て消費してからでも遅くはないだろう。それに、気心知れた者と卓を囲んだ方が料理は美味い。これで残りのドドブランゴ肉も楽しく消費できそうだ。

 ただ、ドドブランゴ肉を消費するまでにかかった手間と金銭は、同量の家畜の肉を買っても十分お釣りがくる程だったということは、注記しておく。



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