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飛竜の眼

アンソロG企画の序文、
ドンドルマの街への導入として書いた短編の前半です。



 飛竜の眼


 東の果てから星光が薄らぎ、しずしずと、天は新しい一日に目醒めつつあった。
 いまだ朝日は見えず。はるかな地平との接しぎわで空は淡紅と黄色と白に滲み、より上空を覆う群青が澄みわたるにはもう少し暇がかかる。
 万物はまどろみの中。最初の兆しに気付いたものはごくわずかだったろう。彼方、夜と朝の狭間の空に黒いしみのような点がひとつ、ぽつりと浮かびあがっていた。
 針で突いたような点は見る間に固有の輪郭を顕わし、やがて射した光輝に影を躍らせ、ゆったりと翼を打った。オレンジ味の残る赤鱗はうぶな艶やかさを保ち、甲殻は薄く柔らかい。身体も翼膜の斑も幼く、生えた棘も少ないが、爪牙は捕食者ならではの鋭利さ、払暁の空を悠然と飛翔する姿にはまぎれもなく王者の片鱗が見て取れた。大陸東部の森に生を受け、巣立ちを迎えたばかりの雄火竜、リオレウスの雛であった。
 火竜が舞うにはやや早い時刻だが、彼は旅の途中にあった。腹も減っていた。背を温める太陽の熱に励まされ、少しずつ高度を落とす。まだ世を知らず、すべてが物珍しく映る無垢な青い眼が地表を眺めまわした。
 深いしわを刻んで見えた大地は幾重にも重なる山と峡谷だ。彼の育った湿潤な森と異なり、緑はさほど多くなかった。山間に夜闇が残る。谷底の川に沿って濃緑の帯が長く伸びる。岩がちな山のところどころに、こんもりと木立の塊。
 視界の端を何かが動き、彼は翼を傾けた。集束する視点は、空の高みから木陰に隠れた獣を見定める天眼だ。絶壁に取りついた鹿であった。食事には物足りない。居心地のよい暗く湿った巣穴で、兄弟たちと、腹いっぱいに獲物の肉を溜めこんだ母竜の帰りを待っていた頃ならいざ知らず、今や立派に飛行するまで成長した彼にはケルビなど動く骨と皮にすぎない。旋回し、進路を戻した。
 今や太陽はあかあかと大地を照らし始めていた。しつこく地を這っていた夜陰も吹き払われ、万色が鮮やかに息を吹き返す。下から全身を包みあげてくる、熱を受けた土の匂い。五感が快く刺激され、飛竜の眼に、世界は全貌を顕わしてきた。
 峡谷地帯は北の果てに景色が霞むまで続いていた。片や南方の陸地は途中で切れ、朝日を真珠色に反射する広大な湖となる。湖岸は東西にどこまでも長い。南の果ては水平線だ。かわって背後、かぐわしい東にあるのは故郷の森。そこは母竜と妹たち雌火竜の領域で、彼が追い出されてきた場所である。戻れない。
 さて、それではどこへゆこうか。彼は当てどもなく旅立ち、この山地になんとなく辿りついていた。峡谷の険しさは空を舞うものにとって何ら障害にならないが、腹を満たす大きな獲物が見つからないのは困ったことだ。獲物はどこに? ここではない。風の中から声がする。いや、身の内から? ――西へ行かねばならない。西へ。
 見えないコンパス、生まれながら体内に備えた神秘の羅針盤に従い、彼は翼を羽ばたかせる。上昇気流を探そうとして、ふと経験のない不思議な香りがひとすじの風となり鼻腔に流れこんできた。
 木や花や、肉、屍、炎、汚物、水、獣。その他わけのわからぬ奇妙なものの入り混じる複雑な臭いの集合だ。ちょっと考え、若者らしい好奇心のうずきに抗せず、彼は急遽旅程を変える。頭をぐるり巡らせて、においの出所へ翼を向けた。
 一本の深い枯れ谷を辿った先に、その街はあった。
 蛇の這うごとくうねった谷底。荒っぽい街道が一度広く開け、石造りの巨大な砦門がそびえている。門の先に、南北に細長い独特の景観を持つ街がある。外界への接続は砦門に守られた南街道が幅広く、蜘蛛の足を開くに似た他方面への支道は細い。三方を険しい断崖に囲まれた天然の要塞だ。
 上空から見れば、まず門を抜けた先に円形の広場があり、そこから曲がりくねる石階段が北へ長く伸びていた。階段左右には四角い積み木が重なるように住宅風の建物が並び、石段最上の大ドームをもつ建造物まで続く。東西の絶壁からはいくつかの水脈が滝となって流れ落ち、建物のあいだや沿道の水路に別れて、銀糸を張り巡らせるがごとき眩しい反射を煌めかせていた。
 崖上から、何やらの紋様が彩られた大きな赤布も垂れ下がる。旗がはためく。緑は多く、花壇は色鮮やかである。あちこちに大小の風車と水車が回り、街路では大勢の人間が歩みを止め、あるいは駆けまわり、そのすべてが上空を優雅に舞う彼――リオレウスの姿を見上げていた。
 もちろん年若いリオレウスは、そこが大陸東部に名高いハンターの街、ドンドルマであることなど知る由もない。そもそも人間すら見たことがなく、珍妙で小さな生き物が大きな巣を作っているなという印象しか抱かなかった。
 鼻を衝く異臭もすごかった。胃袋に訴える美味そうな腐肉の香気も微かにしたが、見える範囲に獲物はいない。はっきり分かるのは、あの小生物が発する妙な臭い――それは朝食の炊煙であり、スパイスであり香水であり、布や鉄や薬などありとあらゆる人工物の香り、また人間そのものが発する汗と体臭の渦で、人にとっては心地良いか、ほとんど感じない弱さの香り――だけなのだ。
 街の一角には彼と同種の竜の吐く火焔の燻りも漂ったが、どうやら生者の火ではない。この気付きは、いささか不吉な予感を伴った。仲間の死骸のある場所は、すなわち危険な場所かもしれないから。
 それを裏付けるようにドンドンと大音が轟き、彼は慌てて高度を上げた。安心できる高さまで昇り、再び円を描きながら何事かと見降ろすと、ドン。まただ。砦門や建物屋上から白煙がたなびいている。それぞれ人間が数人集い、彼に大砲を向けていた。ドドン。
 空砲であった。彼は大砲を理解しなかったが、それが一種の警告であることは正しく感じ取っていた。
 食べ物も憩う場もなく、奇妙な臭いがして騒がしい――こんな土地に用はない。長く街上空をのんきに旋回していた彼は、やっと興味を失って本来の目的を思い出す。西へ行け、西へ行け。本能の呼び声が強くなる。
 反転して気流を掴んだ。宙を自在に舞う能力こそ雄火竜の飛竜の王たる所以である。大気は彼の眷族だ。まっすぐ西を向いた視野に入った、遠く、うっすら青空に浮かぶ白い峰々。あれだ! 個としての記憶もない太古の魂が知る歓喜がよみがえる。
 湧きあがる熱は血流に乗り、全身を駆け廻る。しなやかな筋に満ちる力。烈しく翼を打ち、広げ、風を孕んだ急上昇。喉奥で小さな太陽が爆発し、火の粉を散らして咆哮がほとばしった――あの山々を越えるのだ! 腹は減っているが大丈夫。その先にすべてが待っている。
 加速する寸前、彼は下の山道で一人の人間がこちらを見上げるのに気がついた。重たげに大きな剣を背負い、焦がれるような眼差しで。だが彼は地を這うばかりの小動物にはもはや関心もなく、ただ一路、西を目指して高く高く飛翔を始める。

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