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モンスターハンター!3 9章

熱砂の銃槍師 9章です。
2セクション目、冒頭の台詞は、サハラ砂漠のトゥアレグ族の言葉です。
砂漠の話を書くなら使ってみたいと思っていた。


モンスターハンター! 熱砂の銃槍師


 9章 狼の彷徨

 なぜ、自分はこんなところにいるのだろう。
 幾度となく自身に問いかけてきた疑問だった。しかしそれは明確な答えを得ないまま砂漠の炎暑に揺らぎ、風に吹かれ、太陽に蒸発して砂丘の彼方に去っていった。
 熱い。いつものように。大風が吹き地形の表面が流されても、何も変わりはしない。この不毛の、どんな希望も骨まで干からびさせてしまう広大無辺の乾いた牢獄。
 セクメーアの岩石荒野を、ルイはただ独りで歩いていた。
 昨日から尾行してきたギルドナイトをまくのは容易だった。ジャッダハのナイトはミナガルデのそれとは違い、騎士とは名ばかりだ。街壁やギルド施設の警備、狩人たちの治安維持が主任務の警吏係で、引退した元ハンターや現役が持ち回りで就いている。大都ならば専門職であるギルドガードの役割だ。ジャッダハは規模はそこそこでも、ミナガルデに比べれば新興の街だった。
 ――王都とも違う。歴史ある、ヴェルドとも。
 鋼の具足が小石を噛む、うつろな音が鳴る。
 今は何時ごろなのか。天を仰ぐと、雲一片とてない空が無慈悲なほど青かった。天地を返せば底なしだ。足元がぐらつき、ルイは仰向けに倒れこむ。すべての糸を断ち切られ、果てない深淵へ墜ちていく感覚に背筋がひきつり、だがめまいを起こしたのは自分だった。
 防具を着、ガンランスだけを担いで、どれほどこうして歩いてきたのだろう。
 砂沙漠目指して南下しているつもりで、本当はただ太陽に焼き尽くされたかっただけかもしれない。熱線は砂竜の鎧を貫き、腹の底まで罪を照らす。耐えきれずに長衣をかぶった。熱さではなく、眩しい光から隠れたかった。
 ――お前、死にたいのか。
 ふいに街の集会所で言われた言葉が耳によみがえり、ルイはぴくりと身じろぎした。まぶたの裏をよぎった、怒りに満ちた青い眼差し。裏切られたような顔をしていたな……。
 ――そうかもな、ヒュー。俺には生きている理由がない。
 けれど、死ぬ理由も見当たらなかった。
 風もなく、鳥の音もなく、砂漠には虚無が広がっている。
「…………」
 いや高くなる耳鳴りだけに煩わされる中。ふとルイは何か聞いた気がして半身を起こした。
 大地に馬蹄の音が響いている。長衣を払い地平線に目を凝らすと、不思議なことに、揺らめく蜃気楼の奥から一軍の騎馬隊が並足で駆けてきていた。
「もうよい、口を開くな!」
 座りこむルイの間近で、足を踏みならしながら馬首を返したのは先頭の白馬だった。
 豪華な刺繍を施した鞍、柄頭に大粒の宝石を埋めこんだ剣、鋼の鎧。兜の下にのぞく四十前後の痩せた顔を、ルイは大した疑問もなく見上げる。王弟オディオス。
 男は麾下の十二騎を振りかえり、栗毛の馬に乗る若い騎士を怒鳴りつけた。
「お前を見るのも癪に障る! それほど都に帰りたくば帰るがいい、私が許す。我が都でも出色の槍術士と聞き隊へ加えてやったが、ただの臆病者であったようだな!」
「殿下、私は怯懦から申し上げているのではありません! 砂竜数頭にさえ、イーダム殿ほどの遣い手が命を落としかけたのです。これはジャフ・ナ・ダハの狩人たちの申すとおり、飛竜を倒すのがいかほど無謀な行いか――」
「言葉が過ぎるぞ、ルイ! 控えるのだ」
「いえ、義父上、イーダム殿の傷は深手です。今引き返さねば命取りになる。やはり竜は、人を相手に戦を行うのとは違います」
 遮ってきた初老の騎士を押しのけ、かつての幻影は言い募った。
 まだ眼に力があり、正義感にあふれている。馬上の青臭い自分の姿を、砂上のルイは無表情に見上げた。
「王立学術院の者からも聞き及んでおります。火竜など、攻城戦車数台を一撃で破壊するほどの危険生物だとか。殿下も、都に飛来したあの雄火竜をご覧になったはず」
「おお、見たとも。確かに見たが、あれもただの生き物であろう。槍で突けば血も流す。お前の言う書士官とは、おおかたお前の妻ではないのか。女の言うことを真に受けて臆病風を吹かせるとは。グレンワース候、そなた、娘婿の選択を誤ったな」
 白い顔に口元を歪める、虚栄心と不満が強い、尊大なだけの腐った男だったのだ。
 王位をめぐる暗い噂を一つ二つ、ルイも耳にしたことがある。たしかに王も、この弟を持て余していた。西シュレイド王家の者が飛竜《一角竜》を討ち、王都で叙事詩サーガにも吟われる《ココットの英雄モンスターハンター》にも劣らぬ武勇を馳せるという、馬鹿げた遠征の裏に隠された意味に気付いていたのは義父だけではなかっただろう。
 運が悪かったとしか言いようがない。王弟が竜討伐を言いだしたとき、たまたまルイを連れて登城していた義父が近くにいて、従者の命を下されたのだ。
 ――俺はこの義父を尊敬していた……。
 蜃気楼の中では、領地で明主と名高かった義父がルイをさがらせ、頭を垂れている。
「ご無礼いたしました、殿下。これは槍一本に生きてきた男ゆえ、いささか思慮が足らず先走ることがございます」
「もとは書庫の守衛だそうだな。土地も身分も無き者をよくも婿に認めたものよ。砂竜ごときにおじけづくとは、まこと一槍にシュレイドの誇りを背負うヴェルドの騎士か」
「槍術にかけては、殿下もお目にしたとおりです。先の戦いで砂竜の牙を得ることができたのもルイの働きあらばこそ。次には首級をあげて都に持ち帰ることもできましょう。今後は殿下の武功に尽くしますゆえ、この度のご無礼はなにとぞご寛恕のほどを」
「ならぬ。二度目だ。二度目なれば主への忠誠も疑わしい。ルイ・ガルファイド、お前の騎士位を剥奪する。我が従者に見習いは要らぬ。愛妻のもとへでも帰り、慰めてもらうがいい」
 さすがに助勢に出ようとした仲間たちを、義父が目で制していた。
 一人悦に入って去る王弟を騎士たちが追い、もの言いたげな視線を送ってイーダムも背を向ける。後には義父の深いため息が残った。
「短慮だった、ルイ。まだ一兵士のつもりなのだな。ガルファイドの名を継ぐ以上、大人になれと言った」
「申し訳ありません。しかし」
「無謀だという思いは、もはや皆同じだ。ただ、あのお方に正面からもの申したところで通用はせぬ。正論であるほど怒らせる」
「爵位を剥奪、と」
「それは心配するな。叙位は王の特権、手を出せば王弟とはいえ反逆罪を免れん。しかし困ったことは、あのお方は拗ね者だ。機嫌を損ねたままでは随従は許されないだろう。――ルイ、お前はひそかに隊の後を追ってくるのだ。そして竜や賊が出没したときに駆けつけ、王弟殿下をお助けしろ。あとは私がうまく取り計らおう」
「しかし義父上、私が心配なのは竜です。もし本当に飛竜に出くわせば、我々では蹴散らされるだけだ――見てください、この刃毀れを。街のハンターたちが我らの槍を嗤うのも当然でした。野卑ではありましたが、彼らはやはり正しい」
「娘も、正しかったようだな」
 厳しい表情をほんのわずか緩め、苦笑した義父の顔をルイは今でも思い出す。
「ガレオスとかいう竜を見て、あれが必死に止めた理由がわかった。ハンターが、おぞましくもモンスターの屍で鎧を作る理由もな。だが我らの苦闘ぶりで、殿下は逆に意地になってしまわれたようだ。むしろ飛竜にでも遭遇せぬかぎり、帰国は遠いかもしれん。
 娘のためにも、特にお前は早く帰らねばならないが、まぁ討伐は難しくとも撤退はできるだろう。我々も古シュレイドの血をひく武人だ」
 ではな、ルイ。目印は残しておく――。
 そう言った義父と別れた半日後。隊はディアブロスに襲われ、ルイを残して全滅した。
 ――今でも、風の中に悲鳴が聞こえるんだ。
 そしてあの日の空に戻り、息せき切って岩迷路をさまよう自分をルイは見つける。
 不気味な竜の咆哮を聞き、怯えた馬は暴れて逃亡した。砂利から砂へと変わる道はひどく駆けにくく、何度も転びながら路を抜ける。いきなり広がった砂沙漠へ、しかしルイはどうしても足を踏み出すことができなかった。
 そこにいたのは二本角の悪魔だ。想像を絶する巨大な生き物。
 ――俺は恐怖で動けなかった。わずかな勇気があれば、誰かは救えたかもしれないのに。
 逃げまどう騎士たちを次々と大角が掛け、虫けらのように巨体が押し潰していった。
 ――仲間たちが死んでいくのを震えながら眺めていた。義父さえ見殺しにして。
 動く者がいなくなってなお、竜は執拗に屍体を突きまわした。飛竜など見ることのない王都に生まれたルイにとって、それは理解の範疇を越えた荒々しい野生の怒りだった。
 ――そして一人おめおめと国へ戻り、あんな思いをするくらいなら。
 あのとき仲間を助けるため飛竜の前に身をさらし、彼らと共に死ぬべきだったのだ。
「おい、路の上でくたばるな。迷惑だ」
 誰かがルイの頬を叩いて、いつもの悪夢は終わった。
「こうしてお前を拾うのは二度目だ。いいかげんにしろ」
 一頭だけのラマラダが長い首を青空へ差しあげ、大気の匂いを確かめている。
 赤石の荒野の真ん中で、ひどく不機嫌な顔をした砂漠の民の老人が、倒れたルイを見降ろしていた。

 * * *

「一杯目は人生のように苦く。二杯目は愛のように強く。三杯目は死のように甘美」
 小さな焚火で茶葉を煮出しながら、唄うように老人が呟いた。
 遠くを見ていたルイは、少し首を傾げる。
「……それは?」
「作法。砂漠の民が茶を飲むときの」
「はじめて聞いたな。――死は、甘美か」
 再び地平線へと視線を向けたルイを、茶を注ぐ手を止めて、老人は束の間見つめた。
 砂漠の民が急ぐとき使う隠し道の近くで、ルイは倒れていたらしかった。
 あたりは小石ばかりの見晴らしのよい丘陵だが、丘と丘の底をうまく縫うとあまり目立たず歩ける。ただ真上からの直射光を遮るものがなく、老人は竜骨の杖と長衣で簡易なテントを作り、腰をおろした。本来休息に適した場所でもない。ルイに休む気はなかったが、爺さんは自分のやりたいようにやる。
 陽は高い。二人の横では、立ったままのラマラダがゆったり反芻をしている。鈍い頭痛にこめかみを揉みながら、ルイは家畜を眺めていた。
「ラマラダに氷晶石を食わせたのか、爺さん。一人でまた戻ってくるなんて、何か急なことでも起きたか?」
「なければ、来ない」
 相変わらずの返答だ。ルイは苦笑し、しかし老人は周囲を見渡すようにした。
「お前、一人か。青い眼の狩人はどうした」
「別れた」
「……なぜだ」
「俺たちの《十字傷》狩猟は失敗した。あいつは次の機会を待って、街で準備してるよ」
「お前は」
「俺には他にやるべきことがある。――爺さん、本当は知っていたんだろう。セクメーアに《十字傷》だけでなく、あのディアブロスが帰っているのを」
「砂沙漠に、何か尋常でない様子があることは知っていた」
「飛竜二頭が争っていることまで、わかっていたんじゃないのか」
 ルイは聞いたが、老人は素知らぬ顔で茶を飲んだ。
 砂漠の民は、セクメーアのさまざまな地域に情報の網を張っている。
 隊商と共に旅をしていると、三日先の村で起きた出来事が翌日には爺さんに伝わっている、ということもよくあったのだ。仕組みはルイにも謎だったが、それはギルドの連絡手段よりも速く正確な通信だった。
 もしかすると老人が黙っていただけで、これまでにも《ねじれ角》の双角竜は姿を見せていたのかもしれない。そう考えてみれば、とうに乾ききったと思っていた怒りがどこからかふつふつと湧いてくるようだった。
 どれほどの時を、抜け殻のように、この荒野をさまよってきたか。
 もっと早くあの飛竜と再会できていたなら、決着は簡単についていただろう。虚無を抱えて亡霊のように砂漠をさまようこともなく、無為に過ぎる日々に、かつて抱いた怒りや悲しみが色褪せ風化することにおびえる必要もなく。
 ――そしてヒューに会い、やつの轟竜狩猟の足を引っ張らずにも済んだ……。
 頑固な老人の返答はいつも同じだったが、ルイは言わずにはいられなかった。
「どうして教えてくれなかった。俺はあの竜の情報をずっとあんたに頼んでいたのに」
「手を出すべきではない、あれには。共にうまく生きる方法は知っている」
「爺さんの一族でも何人か死んでいると聞いてる。壊された村もあったんだろう」
「死んだのはわしの言うことを聞かず、あれを倒しにいった若い者たちだけだ。家は、もともと季節ごとに崩れる。遊牧の生活だ」
「結局は泣き寝入りか。わからないな、なぜそこまで危険な暮らしにこだわる」
「先祖代々が受け継いできた地。セクメーアがわしらの故郷だ」
「だが、あのディアブロスはこれからも人を殺すぞ。爺さん、俺は砂漠の民にあの竜を殺せとは頼んでない。俺が行くと言ってるだけだ。今はどこにいる、あの飛竜は」
「お前には手に余る。教えるつもりはない。わしは無駄なことはせん」
「無駄でもいいんだ、俺は!」
 勝ち負けではなく、俺はただ、あのディアブロスの前に立たなければならないのに――!
 口をついて出かけた叫びは、音にはならなかった。
 まるで枯れた木のように動じず、老人がルイを見向きもしなかったからだ。何十年もそうしてきたのと同じ仕草で、黙って二杯目の茶を口へ運ぶだけ。これが一人生き残ったあの日以来、繰り返してきたやりとりだった。
 奇妙な空白の間が生まれ、立ち上がりかけていたルイは重い疲労を覚える。
「あんたは、死んだ部族の者の恨みを晴らそうとも考えないんだな……」
 うなだれて座り直し、ぼつりと呟いた。
 砂漠の民とは時折り生活を共にしたが、その生き方も考え方もいまだにルイは理解できないでいる。それは砂漠の民の側も同じはずで、王都に生まれ育ったルイを理解しようとするそぶりすらない。互いに相容れない文化を持つ異邦の者と思っていた。
 だったらなぜ爺さんは今、自分とこの場に居るのか。それはそれで謎だったが、ルイにはもうどうでもよかった。
 砂沙漠に、あの双角竜はいる。もう一度遭えばすべてが終わるだろう――
「恨みだと? お前は、若者たちのことを言っているのか」
「ああ。掟破りとして忘れられるのでは、死んだ者たちも浮かばれないよ……」
「お前がこの地の厳しさの何を知ると言うのだ、腑抜けめ。お前に何かを言われる筋合いなど、わしらにはない」
 しかし不意に聞いたことのない怒りが老人の声に混じり、ルイは少し驚いて顔を上げた。
 これまでまともに相手をしなかった老人が、年老い、落ちくぼんだ瞳の奥に強固な光を灯して、こちらを睨み据えていた。
「祖先の教えに従い、わしは飛竜を避け、寄せぬようにして生きる。若者たちはわしの言葉を聞かず死んだが、部族の苦労を思い竜を倒しに行ったのだ。恨むだと? 何を恨むのだ。砂漠の民は皆自らの正しさを信じ、この砂漠で生きている。セクメーアで己を疑う者はすぐに骨となるからだ。誇りも覚悟もないお前ごときに、憐れまれる筋合いは彼らにはない」
「……俺ごとき、だと」
「お前ごとき。やはりあのときお前を拾わず、仲間の屍と共に打ち捨てておくべきだったか。――お前は今、何をしている。言えるのか、それを」
「そんなことは、わかりきってるだろう。俺はあのディアブロスを探していた。義父と仲間たちの仇を討つためだ」
「ではなぜ、こんな所で倒れている。ろくに水も持たずに。お前には、あの飛竜を倒す本当の覚悟などない。当たり前だ。お前の仲間が死んだのは竜の罪ではないのだからな」
 鋭いナイフで喉を突かれたかのように、ルイは声を出せなかった。
「お前たちが、竜の縄張りを荒らしたのだ。知らなかったのなら愚かだが、竜の都合とは関係がない。心の底ではお前もわかっているのだろう。だから、お前が殺したがっているのは竜ではない」
「…………」
「お前は生きるでも死ぬでもなく、蜃気楼のように砂漠をさまよう。お前は死にたがっている。だが死なん。ならば生きたがっている。だが生きん。お前は何をしている」
「……俺は」
「お前は自分を正しいと思ってはおらん。であれば、お前は砂漠の民にはなれん。目障りだ。消えろ。故郷へ帰れ」
「俺に帰る国はない」
「では探しに行け。新しい家を。セクメーアにはお前の死すらない」
「…………」
 ――だけど、聞こえてくるのは悲鳴なんだ。
 ルイは目を閉じる。闇の彼方から押し寄せるのは、蜃気楼の幻だった。
 逆巻く砂嵐、大地を切り裂き現れる大角。砂に沈む仲間たちと義父、その死顔。彼らが帰るはずだった祖国。義父の領土。館は閑かな森に囲まれていた。小鳥や虫や、ちいさな生き物を探しながら歩くのが彼女は好きだった。二度と会うことはない。
 ――あのディアブロスのせいで。
 ずっとそう思ってきたのだ。竜を知り、狩りを知り、ヴェルドの騎士であった自分たちがどれほど甘かったかを思い知った後でさえ。
「でも俺は、あのディアブロスを殺すまでは、砂漠から出られない……」
 上空で風が泣いていた。
 老人はもはや何も言わず、日除けにした長衣の端だけが風に煽られてばたばたと鳴った。ラマラダは立ったまま眠り、老人の額には憐れむようなしわが浮いていたが、ルイは気付かぬまま、砂漠に朽ちた死者たちの声に耳を澄ませていた。
 老人が三杯目の茶を注ぐ。
 ――これを飲んだら、発つべきだ。
 今度は爺さんも止めはしないだろう。おそらく再び会うこともない。
 お前のことなどどうでもいいのだと老人が呟いたのは、ルイがぼんやりそう思ったときだった。
「わしは青い眼の狩人に用があった。あの若者に会え、ルイ。ひとつ教えてやる話がある。五日前、わしの甥の娘の夫の家畜が竜に食われた。愚かな男だ。あの水場は、五年は竜の通り道になると言っておいたのに」
「……?」
「腹を満たしたあと、竜は北東へ去った。あの山を越えるといつも一年先まで姿を見せん。黄に青の縞模様の、怒り猛る竜の王」
 三杯目を飲もうとしていたルイの、カップを持つ手が止まる。

 * * *

 G級ハンターたちのジャッダハ到着が、いよいよ明日に迫った。
 集会所には、轟竜戦のため街から届けられた物資が山と積まれている。詳細な作戦は到着後に詰める予定だが、酒場では連日大勢のハンターが薬の調合や道具の仕込み、セクメーアの地図を見ながらの話し合いをしていた。もちろん、飲み食いをしながらだ。
 大量の音爆弾を抱えたアイルーが足元をすり抜けて、ヒューは危うく蹴飛ばしかける。視界が完全に塞がっているらしく、まずい、転ぶぞ、と見ていたら、案の定つんのめったアイルーを隻腕のギルド職員が横からひょいと抱えあげていた。ぶちまけた音爆は、彼が直前に蹴り出したかごに全部収まっている。ヒューと目が合うと職員はにこりと笑み、物資の整理に戻って行った。
「で、ヒューよ。村からの小包は何だった?」
 マディフに促され、「それがさ」ヒューは年季の入ったマフラーを見せた。
「どっかで見たなと思ったら、村長のなんだよな。なんで送ってきたんだ。使えってか」
「ちょっと巻いてみろ、わははは似合わん! い、いやすまん、悪かった。これだけか? 手紙は?」
「ない」
「うーむ。こりゃ無茶はするなと言ってるのか――むん? 包みん中に何か……」
「へっ、手紙?」
「ほれ見ろ、ちゃんと入ってるじゃねぇか。なになに、下手な字だ――『おバカな旦那さんのための解説。村長さんの襟巻きです。特別に貸してもらった品なので、後でちゃんと返すこと。汚さないように。失くさないように。破かないように。食べないように』」
「オモチの字だ! 俺のオトモアイルー」
「つまり無事に戻って来い、と。わざわざ解説つきたぁ愛されてるな、お前さん」
「なんでだよ! マフラーはともかく、この手紙明らかにバカにしてるだろ! あんニャろぉ、帰ったら丸刈りにして風呂の刑に処す」
 文句を垂れつつ、ヒューは久々にポッケ村の空気を思い出して嬉しくなっていた。
 気付けばもう三月近く留守をしている。時どき届く便りを読めば変わりなく平穏である様子がわかったが、オモチや皆の声を聞き、フラヒヤの冷えて澄んだ大気を肺いっぱいに吸いこみたかった。
 出身はドンドルマでも、初めてハンターとして働き、認めてもらったポッケ村はすでに第二の故郷である。今頃は短い夏の盛り。今年は時期を早めていたから、祭りはもう終わっただろう。大マカライト岩の前で燃やす最後の大焚火を見たかった。フラヒヤの霊峰に眠る雪神を鎮めるための炎――。
 その村を脅かす轟竜《十字傷》の命運も、今度こそ尽きる。
 大規模な討伐狩猟に湧く集会所を眺めながら、ヒューは少し早い感慨にふけった。
 G級ハンターが明日、来る。ミナガルデはドンドルマと同程度に大きく古いハンターの街だ。ヒューは彼らの顔も知らないが、ドンドルマのG級ハンターであった父を信じたのと同様に狩猟の腕は信じられた。ディアブロスが厄介でも、そこは双角竜に慣れたジャッダハのハンターが総出で足止めを保証している。
 ――今度は、狩れる。
 がむしゃらに進んできて、一度は本気で死を覚悟した甲斐もあったというものだ。ポッケ村を出立する際、安心して待っていろと皆には約束してきた。どうやら胸を張ってフラヒヤの山里に帰れそうだった。
「……帰る?」 そこで思わず口にしていた。
 ――そうか。俺、セクメーアには戻らないかもしれないのか……。
 マディフが妙な顔をする。なんでもねえ、とヒューは慌てて手を振った。
 ルイはどうするんだ。引っ掛かったのは、あのガンランサーの思い詰めた横顔だった。
「なあ、おっさん。昨日あたり、ルイのやつを見かけたか?」
「いんや。あれ以来、誰も見てねぇみたいだぞ。ナイトが監視してるって噂だ」
「そっか」
「気になるか」
「まあな」 腹立ちは、まだ身体にくすぶっている。
 深追いするなと何度も言った。俺にルイを死なせるつもりはないのに、あいつには慎重になる気がなかった。命を張って連れ帰ったあとで、死にたいのかと聞くと、そうかもしれない、などと。自分に仲間はいないと言っていた。俺は仲間じゃなかったのか。
 ぶん殴って決別して、それで終わってもいいはずだった。だがまだ気にしている。
 ――あいつは何かに苦しんでた。
 だから、力になってやりたかったのだ。苦いような後悔は、たぶんそこから来ていた。
 ルイは、あのディアブロスを狩りに行くのだろうか。
 相手はG級、返り討ちは明白だ。それでもあいつは行くかもしれない。そしてギルドの掟に背くという理由以外で男を止める人間は、ジャッダハには一人もいない。
 ――俺に何ができるってんだ……。
 狩猟の道筋がついた《十字傷》以上に、ヒューにはわからなかった。
「おーい、そこのクレイジー。暇ならちょっと来いよ」
 酒場のテーブルから、討伐戦でチームを組むハンターたちが手招きしていた。
「作戦会議しようぜ、ヒュー。ま、俺らはG級パーティーの邪魔にならんようランゴスタだのを追っ払う役回りだけどな」
「重要だろ、遊撃隊は。轟竜の前で虫に刺されて麻痺ってみな。即、お花畑」
「それにG級の狩りを近くで見れるんだぞ。俺、ドンドルマに戻ったら兄貴に自慢するわ」
「何言ってるんだ、《天弓》もG級だろ?」
「まだ上位。回ってくる仕事はほとんどG級らしいけど、面倒がってギルドの認定受けねんだって。パーティーの仲間が言ってた」
「さすがお前の兄貴。変わってんなぁ」
 ライトガンナーが笑って地図を広げ、マディフがホピ酒追加を注文した。
「G級パーティーにはヘヴィガンナーがいる。だから狙撃しやすい場所で狩りたがるかもしれねえ。ということは、この二か所だね、俺のオススメ」
「ディアブロスの足止め組はどこでやる気なんだ?」
「川が通ってる、このエリアだ。サボテン食いにやつはよく来る。連続して罠にかけるには、広い場所で動き回られると面倒だ。妥当だろう」
「こっちも回避しにくいが、ここならいざとなりゃ水に飛びこめばいいしな」
「待て、ガノトトスがいたらどうするんだ」
「温暖期だぞ。大物は地底湖に引き籠ってるだろ、マディフ」
「俺が言ってるのは子供のことだ。あの水深ならゲネポスくらいのでかさなら泳ぐぞ」
「その程度の幼体なら齧られても痛ぇで済むよ。防具着てりゃ」
「ぅお、俺は《十字傷》も《ねじれ角》も担当にはならんからなっ」
「だからおっさんは連絡班になったじゃないの。しょうがないなあ、もう」
 頭をかく片手剣使いの横で、ヒューが斧槍のハンターに尋ねている。
「G級ハンターは、ティガレックスを狩ったことあんのかな」
「どうだったかね。でもやつらの腕は超一流だ。大船に乗ったつもりで間違いない」
「うん、でもあんま経験ないなら、俺も教えられることがあると思ってな。《十字傷》の鱗は、俺の剣じゃ何度も斬りつけねーと、かすり傷にもならないくらい硬ェんだ。だけどやつが怒ったとき、急に刃が通るようになった。怒ると肉質が変わるんだよ」
「へえ……、そりゃ本当か」
「ああ。だからそんとき爆弾で攻撃すればけっこう効くはずだ。ただ、頭に血が昇ってると痛みも感じないみたいでさ。実際に動きを鈍らせるには相当ダメージ与えなきゃなんないだろうな」
「バインドボイスが危ないって聞いたが」
「あれは声だと思わないほうがいい。ブレスだ。正面から喰らえば吹っ飛ぶ」
 身体の大きさ、麻痺毒の量、罠や閃光の効力。突進と砂弾、回転で生じる風。
 動きの癖や性格までヒューが詳しく話すあいだ、卓を囲んだハンターたちは熱心に聞いていた。ひととおり喋り終えたとき、マディフがしみじみと言った。
「転んでもただでは起きんな。まったくタフだぜ、お前さんは。気球船からお前らの狩りを見てた調査員が言ってたよ、こっちが心臓麻痺で倒れそうだったとさ。――二度は言わんからよく聞け、ヒュー。お前が俺たちジャッダハ・ハンターに火をつけたんだ。俺たちは俺たちの街のために戦えるんだ。礼を言う」
 もともとそんなつもりで、轟竜狩猟を言いだしたわけではなかったのだ。
 真顔のマディフにどうも照れくさくなり、ヒューは誤魔化し半分で周りを見回したが、こちらを向くどのハンターもニッと笑んで頷いている。
「マディフ……」
 ぐっと来るものがあった。思わず禿頭の大男の肩に手を置き、一拍黙り、ヒューは続けた。
「すげー震えてるけど」
「やかましいわっ! 相手は《十字傷》だぞ、その上《ねじれ角》まで!! ブルッちまうのが普通だろが! くっそお、うちのガキども見てるかあ、パパは頑張ってるぞお!!」
 マディフ以外の全員が卓を叩いて爆笑した。騒動はその背後で起こった。
「なんだ?」
 集会所の外だ。蹄の音が近づき、物が倒れ壊れる騒然とした音が響く。
 悲鳴と罵声が混ざり、何事かと集会所中のハンターが視線を向けた、その先で、両開きの大扉が外から乱暴に開かれていた。
「ヒューはいるか! 報せがあるんだ、あいつを呼んでくれ!」
「――ルイ」 ヒューは驚いて目を見開く。
 息を切らして飛びこんできたのは姿を消していた銃槍師だ。呟いた声を聞きつけ、ルイの黒い双眸が真っ直ぐにヒューを見つけていた。

 獣のいななく声がする。
 開け放した扉の外に大きなラマラダの一頭。騎乗した砂漠の民、隊商の長老。鋭い視線を一瞬ヒューに投げ、ラマラダを棹立ちにして首を返す。短い気合いだけ発し、長衣を翻して扉の向こうから姿を消した。
「ヒュー、爺さんが知らせを持ってきた。セクメーアに《十字傷》はもういない」
「なんだって?」
「やつは五日前に砂漠を出たらしい。北東へ消えたと」
 迷いなく歩み寄ったルイの言葉に、ヒューは聞き返すことしかできなかった。
 まさかフラヒヤか。誰かがそう言ったのを呆然とした頭で認識する。尋ねたハンターのほうへ、ルイは顔を向けた。
「どこへ行ったかまではわからない。だが向かった方角は北東だ」
「ガセネタじゃないのか、《狼吼》。いつもならまだ砂漠をうろついてる時期だぞ。轟竜がいなくなるのは半月以上先のはずだろ」
「俺は砂漠の民とは三年付き合ってる。セクメーアの情報ならギルドより信頼できる」
「いや、しかし、お前……」
「――俺、村に帰る」
 ヒューが言っていた。酒場が静まりかえる。
「落ちつけ、ヒュー。今の話が本当かどうかわからねえだろうが。第一、北東へ行ったってだけじゃフラヒヤ山脈に向かったとは限らねえ」
「わかってるよ、マディフ。時期も早すぎる。でも《十字傷》がいないんなら、俺が砂漠にいる意味がねえ。嫌な感じがする。心配だ、村の守りが……」
「砂漠の民の話を信じるのかよ。したたかな連中だぞ」
「俺が爺さんに《十字傷》の情報を頼んでたんだ、護衛で仕事したとき。爺さんはセクメーアにものすごく詳しかったから」
 くそ、と誰かが壁を拳で叩く――ここまで来て、なぜ。
 まるで危険を察知したかのような《十字傷》の動きだった。しかし、ディアブロスか、と一人が低い呻きをあげると、合点のいった溜め息や憤慨がハンターたちに溢れる。
 《ねじれ角》の存在が、《十字傷》の行動を狂わせたのか――。
「おまけにやつには大タル爆弾十発も喰らわせたんだろう。きっと効いてたんだ」
「けど、ギルドが轟竜を追跡調査してたよな? 異常がありゃ報せが入るんじゃねえか」
「掲示板チェックしろよ、お前。ディアブロスは縄張りで定期的に観察されてるが、ティガレックスに縄張りはないし、足が速すぎて気球船じゃ追いつけん。十日に一度目撃されりゃ多いほうだ」
「じゃあ、最後にギルドが確認したのは」
「――六日前」
 掲示板に走った者の報告に、誰もが顔をこわばらせて口を閉ざす。
 重い沈黙を破ったのは、ヒューが再び言った「帰る」の一言だった。
「待て、ヒュー」
「ここで抜けるのはマジで悪いと思う。けど俺はポッケ村の専属ハンターなんだ。少しでも危険があるなら帰らねーと。これだけみんなで準備してんだ、俺一人いなくたって狩りは絶対うまくいく。だから」
「そうじゃねえ。情報があってようが間違ってようが、こっちのことはいい。やばいのはお前だ。本気で《十字傷》がフラヒヤに出たらどうする」
「俺が帰るのは万一に備えてだよ。ま、今までどの集落も轟竜に見つかったことはねーし、夏場は雪山狩りで村にいるハンターも多い。明日のために、みんなはここで予定通り準備しててくれよ」
「しかしな」
「俺が行く。俺がヒューに同行する」
 声は、ヒューの背後からあった。全員の視線が動く。ヒューはゆっくりと振りむく。
 ひたむきな眼差しの銃槍師が立っていた。
「もともと、お前と二人で組んでの轟竜狩猟だった」
「パーティーは解消だと言ったのはお前だろ、ルイ」
「取り消す。悪かった。お前の轟竜狩猟に最後まで付き合うと約束した。その約束を、俺に守らせてほしいんだ」
 よせ、と誰かが言ったが、ヒューは取り合わずにルイを見据える。
「お前、爺さんとはどこで会ったんだ。砂漠に出てたのか? なんで戻ってきた」
「言い訳はしない。だが、俺のまわりで多くの人が死ぬのは、もうたくさんだ。手伝わせてくれ、ヒュー。お前の村を守るのを」
「…………」
 ルイには、言いたいことが山ほどあったはずだ。聞かなければならないことも。
 けれど今、言葉は何も出てこなかった。ヒューはじっと相手を見る。挑む気分で視線をそらさず、ほとんど睨みあうようにして。
 長いような沈黙があった。ルイの視線は揺らがなかった。
 唐突にヒューは天井を仰ぎ、また下を向いて息を吐き出す。向き直ったとき、手を差し出していた。
単独狩猟ソロハントじゃないぜ、ルイ。俺がいるのを忘れないでくれ。一人で戦うなよ」
「――ありがとう」
 返ってきた手を一瞬だけ強く握り、あとは肩を叩く。荒野で最初に共闘したときも、街でパーティーを組んだときも、そういえば握手を交わしたことを思い出しながら。
 準備だと言って歩き出した二人を受け、ジャッダハの集会所も一斉に動きだす。
「誰か、イヴリンを呼んでこい。レクサーラ行きの定期便がまだ出てないだろう。今度だけ行き先を変えてもらえ」
「ヒュー、それにガルファイド。お前ら、ドンドルマまでは気球船で行け!」


 ――そして十数日の後。
 フラヒヤ山脈の山道を分解寸前の速度で駆ける、アイルー牽きの運搬車が一台あった。
「おいっ、もっとスピード出せないのかよ!」
「これ以上は無理だ、ヒュー! みんな限界で走ってる!」
 止めたルイをヒューが睨む。唇を噛みしめた表情にあるのは怒りではなく焦燥だ。
 路に突き出た岩を踏み、車が大きく跳ねる。総勢で八いるアイルーたちには悲鳴をあげる余裕すらない。着地。同じ速度で疾走し続ける。形相が違ってしまっていた。
 彼らを思いやる余裕はヒューにもない。上り山道の向こう、斜面の影となって見えないそこから黒煙が伸びていた。異常な量の煙が青空を汚している。ポッケ村の在所から。
 アイルーが声にならない叫びをあげ、坂を登りきった車が急停止した。乗っていた二人のハンターは反動で前方に投げ出されて前転、片膝ついて立ちあがる。その頭上を、人影がひとつ悲鳴をあげながら吹き飛んでいった。
 もっとも見たくない光景が広がっていた。
 崩れた家、散乱した瓦礫、倒れ伏した人々。轟音をあげて燃え盛るのはイェルゴの鍛冶工房だ。農作物と子供の玩具が道端に転がり、土砂でせき止められた温泉川から水がだらだらと溢れだしている――それら一切の悪夢を気にしない生物が一頭だけ。村の目抜き通りの中央で、こちらに尾を向け、草食獣ポポの腹に頭を突っ込んで臓物を貪っていた。
 黄と青の挑発的な縞模様。巨躯。肉を咀嚼する気味悪い音をたて、持ち上げた頭から獲物の血が滴り落ちる。額に見えた傷痕は十字。
 呼吸も忘れたヒューの全身を、言いようのない震えが駆け抜けていった。
 ――二人は間に合わなかったのだ。


(「10章 死闘」に続く)
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